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「自由と責任」- 自分で決めるというコト

「自由と責任」
ずっと言われ続けてきた。けど、ずっと意味が分からなった。

高校受験を経て入学した偏差値70を超える公立高校では校則がほとんどなく、服装・染髪・ピアス等は自由だった。
私も3年間のうち半分くらいは茶髪に染めて、部活のジャージで学校生活を過ごしていた。

あの時はよかった。
自由だけど責任のかかるようなことは何もなかった。
あらゆることから、親や先生が自分を守ってくれていた。
だからこそ、「自由と責任」について理解できず、響かなかった。

あの高校を卒業してもうすぐ10年が経つ。
誰もが知る有名な私立大学、大学院へと進学した。
大学か研究機関で研究者になろうと思っていた。
けど、今は研究とは全く違う業界で、外資系企業でコンサルタントとして働いている。

高校の時に理系を選択した時から、大学院に入るまでは理系というレールの中で、大きな選択をしたことはなかった。
専門分野も理系という枠組みの中で、カタログやパンフレットの冊子の中で指を指して選ぶように、専門分野を選んだ。

就職活動では、理系としての職種ではなく、文系の人と同じ職種・就職先を選んだ。
金銭的な理由で少々しんどい思いをした過去があり、早く稼ぎたかった。
実際、自分が調べた候補の中では文系就職のほうが給料が上がりやすかった。

初めて「自分が選択した」という実感を得た。
手に持っていた冊子の外へ、冊子を捨てて別の道を歩み始めた。

そこで初めて、「選ぶ自由」と「選んだ結果への責任」が自分にあることを実感した。
「選ぶ自由」を行使することで、自分自身の人生を変えることができたような気がした。いや、実際に人生の方向性を変えることができた。
選んだ当時は、その選択が正解かどうかわからなかったけど、正解にすれば良いと思っていた。

けど、現実はそんなに甘くなかった。
「稼ぐために早く昇進すること」だけを考えて入った会社で、昇進できなかった。
評価は良かったけど、自分自身の力ではどうにもならない部分で昇進レースに負けた。

別に給料が下がるわけではないし、世間から見たら今でも十分に高い給料をもらっている。
昇進できると思っていて、昇進できるだけの材料があった。
当たると思って拳を振ったのに外すと、より疲れる。
昇進を確信して期待を持っていただけに、落胆が大きい。

この結果を受け入れることが、「選んだ結果への責任」をとることだと思った。初めて責任をとる場面に遭遇したかもしれない。
ただ、責任をとるだけで終わりたくない。

昇進できなかったという事実は変わらないし、この先で昇進できる保証もない。
ならば、上がらなかったという事実を受け止め、より良いフィールドへ行く。そのために転職活動をするだけ。

責任をとるだけなんて、つまらない。
現状維持は一番の後退だと思う。

こんな私の転職活動をリアルタイムで今後発信していきます。

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#転職 #キャリア #理系 #就活

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