第一回 Kind of Blue♪ - 憂うつの中から辿り着きし天職 vol.2- 研究者・林(高木)朗子
脳の全階層を見ることで発見がある
竹内 脳を研究する際には、まず分子レベルがあって、それがもうちょっと大きくなっていくと細胞レベルですか。さらに大きいレベルもあるんですよね?
林 神経回路ですね。
竹内 脳には階層・レベルがあるんですね。それって同じ研究者がいろんなレベルを研究するのか、それとも分子的なメカニズムを研究している人、回路を研究している人とかレベルごとに分かれている、そういう感じなんですか?
大脳皮質の2/3層のニューロン(出典:多階層精神疾患研究チーム)
林 昔は単一の階層ごとの研究が主流でした。現実的に方法論として色々できなかった。一つの簡単な実験をするのにも昔は膨大な時間がかかりました。例えば、今なら一日で全ゲノムも読めてしまうのに、わたしが大学院生の時には、ほんの短い遺伝子配列を読むのに一苦労。万事がそのような感じなので、一つの階層で精一杯だったというのが理由です。しかし現代までの素晴らしい技術革新のため、様々な実験が簡単に行えるようになった。だからこそ分子から行動までの多階層を一度に見るべきだ、そのような新技術を作るべきだ、という機運が強くなっています。先ほど紹介した光遺伝学などは、神経を光操作することで目的分子を制御し、行動変化を見ることができるので階層縦断的な研究そのものです。もちろん一つの階層だけを研究することが駄目という意味ではありません。例えば、クライオ電子顕微鏡*5を用いて、誰もが出来なかった精巧なレベルで分子の構造を決定できるなどという素晴らしい研究も山のようにあります。
竹内 なるほど。
林 精神疾患研究の場合では、疾患に関連する重要な遺伝子が見つかって、その遺伝子を欠損させたノックアウトマウスを作るっていうのは分子レベルの作業です。その次に、そのマウスの細胞がどうなっているかを細胞レベルで観察する。さらに、そのマウスがどういう行動を取るかを見ないといけない。そうすると必然的に、全部の階層を見る研究者が必要だぞ、となる。神経回路にしても色々な知見がたまり、「この回路の働きはこうだろう」という仮説ができるわけですよね。その仮説をもとに、光遺伝学を使ってその神経回路を操作できる。活性化することも、抑制化することも自由自在。それで実験動物の行動が思った通りに変化したら、因果関係があるぞ、となって、「おめでとう! 素晴らしい研究!」ってなるわけです。
「脳の機能」が映し出すもの、それが「心」
竹内 生物学では例えば遺伝子をオン・オフするみたいな話がありますが、ニューロンもそういう意味で、回路自体がオンになったりオフになったりするということですか?
林 そうだと思います。記憶にしてもそうです。神経細胞は多くの場合、単一細胞で働くわけではなくて、アンサンブルといって、集団で活動することによって意味を持つ。うつ状態になると、このアンサンブルの活動が変わることはマウスの実験でも分かっています。ヒトでもfMRI(磁気共鳴機能画像法)という手法を用いると、脳の使われ方をBOLD信号というもので観測できるのですが、うつ状態になるとこのBOLD信号があっちこっちで変わります。病気になると脳の活動の状態が変わっていることは間違いない。うつ状態が改善するとBOLD信号も正常化するという縦断的な結果もあったりする。私たちの心は、分子や細胞という物質が規定しているんです。
竹内 意識・心の問題っていうと、多くの人は何となく脳の機能とは思ってないと思う。
林 そうなんですね?! 脳科学業界に染まりすぎていて、その考え方、逆に衝撃です。
竹内 物質の機能が終われば、心も消えるってことですよね?
林 私は消えると思いますよ。もちろん色々な考え方があり、それはそれで良いと思いますが、私は物質が脳を、言い換えれば、物質が我々の心を規定していると考えています。
竹内 林さんはマルチスケール精神病態の構成的理解という新学術領域プロジェクトを立ち上げて代表をしている。それがまさに分子とかのマイクロレベルと社会に直接影響を与えるような心や行動といったようなレベルをまるっとつないで精神疾患の因果関係を見つけていこうってことなんですか?
林 そうです。精神疾患をマルチスケール(多階層)に理解しようという同じ理念を持った研究者が結集していて、知恵、技術、貴重サンプルを共有できるヴァーチャル研究所が新学術領域です。PI(プリンシパル・インベスティゲーター、いわゆる教授などの研究プロジェクトをまとめる研究者)だけで43名の大所帯です。研究者には何でもできるスーパーマンのような人も稀にはいるけれど、当然に得意と不得意があります。それぞれの特技は光遺伝学だったり、二光子顕微鏡、大量の神経細胞の電気記録を計測する多点電極法、行動解析だったりと様々。扱う種も多彩で、マウス、ラット、マーモセット、日本ザル、ヒトiPS細胞、ヒト死後脳までカバーしている。そのなかで動物モデルでしかできない実験、ヒトでしか分からない知見を組み合わせたり、種間比較をしたり、それぞれの現象がどのモデル動物で解明できるのかを日々考えています。
竹内 はじめに「脳科学は専門的で複雑になり過ぎた」っておっしゃっていた。こうやって色々な専門家をヴァーチャルに集結させることで専門的で複雑な課題に挑んでいるのか!
林 そうそう! さらに、実験だけでは分からないこともあるでしょうから、計算論的神経科学とかトランスオミクスというコンピューターの力をフル稼働させて、実験と理論を双方向的にフィードバックさせています。まさに、ありとあらゆる技術を結集させて、ヒトの精神疾患へ外挿していき、分子、細胞、回路、行動を一元的に理解することを目指している。とても優秀な研究者が集まっていて、議論していても興奮するというか、本当にワクワクが止まりません。
未来感がすごい、脳科学のテクノロジー
竹内 先ほどの光遺伝学のお話、SFみたいでしたけど、将来的に患者さんの脳に光を当てることによって、人の心・感情というものをある程度コントロールすることは可能だということですか?
林 理論的には可能です。「やる気スイッチ、どこにある?」とか言うじゃないですか。あれもドーパミン神経や脳の奥にある側坐核*6の神経を刺激すれば動物レベルではMotivative behavior(モティベイティブ・ビヘイビアー)といって、やる気を起こさせることが出来ちゃいます。
竹内 すごくマンガ的に、パキーンってスイッチを入れるようなイメージなんですけど、まさにそういう感じで光を使ってスイッチが入るということ?
林 光に反応する物質を脳の中に作らせることができれば可能ですよ。
竹内 どうやるんですか?
林 実際には倫理的に承諾されないですが、ヒトでもアデノ随伴ウイルス*7というウイルスを使えば、光遺伝学で使うチャネルロドプシン*8のようなものを脳内で特異的に作らせることは技術的には可能です。
竹内 つまり、スイッチを取り付けちゃうっていうことか。
林 そう。
竹内 でもまあ、なかなかヒトには応用できないから、動物実験を通していろんな知見が集まることで、将来的に人の精神疾患が治療できるかもしれない、そういった大きな目標というか全体像があると思うんです。例えば、iPS細胞*9みたいなものを使って動物を使わずに実験をするとか、そういったことも行われてはいるんですか?
林 もちろんそれも活発なフィールドです。ヒトより樹立したiPS細胞は、当然ヒトの遺伝子をフルセットで持っているので、動物モデルでは不可能な実験もできます。今はオルガノイドという培養臓器が注目されていて、脳科学の分野で扱うものはミニ・ブレインと呼んでいます。iPS細胞を培養しているとコロコロと毬藻みたいに丸くなってきて2~3ミリの大きさに育つんですね。ヒトの大脳皮質って1層から6層まで層構造になっていて、ある条件でiPS細胞を培養すると、原始的な大脳皮質の層構造を持つミニ・ブレインが形成されます。2018年にはカリフォルニア大学の研究者たちが、このミニ・ブレインから胎児期ほどの成熟度の脳波が観察されたと報告*10しまして、脳科学コミュニティに衝撃が走りました。ミニ・ブレインにも意識はあるんじゃないかと。
シャーレに配置された5個の脳オルガノイド (出典: Tomoyo Sawada, The Lieber Institute for Brain Development)
竹内 培養臓器に意識がある!
林 意識があるのか、ないのか。もし仮にあるとしたら、そのような実験はやって良いのか。今後、生命倫理のなかで議論を進める必要があるのではないか、ということが指摘されはじめています。
竹内 これまで完全にSFだと思っていた世界が、実験室レベルでリアルなステージにすでに入ってきているんだ。ちょっとびっくりですね。
*5 クライオ電子顕微鏡:溶液中の生体分子の立体構造を高い解像度で観察できる構造解析手法。開発者であるジャック・デュボシェ、リチャード・ヘンダーソン、ヨアヒム・フランクの3名が2017年にノーベル化学賞を受賞。
*6 側坐核:報酬や喜びと関係すると考えられている脳部位。ドーパミンの影響を強く受ける。
*7 アデノ随伴ウイルス:細胞に感染するウイルスで病原性がない。ウイルスに特定の遺伝子を組み込むことで、感染した細胞でその遺伝子から目的のタンパク質を作らせることができるため、遺伝子工学や遺伝子治療研究などで広く用いられている。
*8 チャネルロドプシン:クラミドモナスという単細胞の藻に由来する、光で活性化されるタンパク質。細胞膜に存在し、膜の外と中のイオンのやりとりに関係する。ニューロン内で人工的に作らせて光を当てると、ニューロン内にイオンが大量に流れ込み脱分極させることで、神経活動を誘発することができる。
*9 iPS細胞(人工多能性幹細胞):ヒトなどの体のある組織の細胞を、いくつかの遺伝子の組み合わせを導入することで、ほかの組織の細胞に分化できる能力を持たせた細胞。神経細胞に分化することも可能である。iPS細胞を開発した京都大学・山中伸弥教授に2012年ノーベル医学・生理学賞が授与された。
*10 参考文献: “Lab-grown ‘mini brains’ produce electrical patterns that resemble those of premature babies” Nature article
https://www.nature.com/articles/d41586-018-07402-0
“Can lab-grown brains become conscious?” Nature article
https://www.nature.com/articles/d41586-020-02986-y
今夜の研究者 林(高木)朗子
東京大学大学院助教、群馬大学教授を経たのち、理化学研究所 脳神経科学研究センターにて多階層精神疾患研究チームを率いる。
・元精神科専門医
・新学術領域(領域提案型)「マルチスケール精神病態の構成的理解スケール」領域代表
Barのマスター 竹内 薫
猫好きサイエンス作家。理学博士。科学評論、エッセイ、書評、テレビ・ラジオ出演、講演などを精力的にこなす。AI時代を生き抜くための教育を実践する、YESインターナショナルスクール校長。Twitter: @7takeuchi7
理化学研究所 脳神経科学研究センター
「心」の基盤としての「脳」を研究する日本の中核拠点
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