理系キャリアコーチ『かず』 自己紹介
初めまして、かずです。
このブログを読んでいただき本当にありがとうございます。
突然ですが、こんなことで悩んでいませんか?
その気持ち痛いほどわかります。
なぜか?実は、私もそう思っていた1人だったからです。
そんな私が変わることのできた、
仕事もプライベートも充実させるキャリアプラン設計方法
人生でやりたいことを明確にする必勝法
知りたいと思いませんか?
それらの情報はこちらの公式LINEを追加して頂ければ見ることができます。
しかし、こちらを受け取る前に私の話を聞いてください。
必ずキャリアプランを考える上で役に立つはずです。
まずは自己紹介をさせていただきます。
現在27歳、名前はかずです。
それなりの一般家庭に産まれ、
それなりの大学に進学し、
それなりの大企業に就職する
という、割とありきたりな人生を歩んで来ました。
最近では
などなど、目の前にいる人の力になりたい!
という信念を持って仕事に取り組んでいます。
しかし、今でこそ毎日を楽しく過ごせていますが、決して順調な人生を送ってきたわけありません。
中学時代は偏差値35、周りからはバカと呼ばれる
夢にまで見た大企業に入社するも目標が不明確で鬱になる
「何かしないと」という衝動から株式投資を始めるも−60万円の損失
苦しい時期も、辛い経験もたくさんしてきました。
そんな私があなたにどうしても伝えたいことがあります。
ぜひ最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
【人生を変えた2つの意思決定と行動】
「成功は継続的に努力を積み重ねた人にだけ訪れる」
よく耳にする決まり文句です。ただ、抽象的すぎてよく分かりませんよね。
言葉を変えましょう!
成功は「死ぬほど努力し続けた」人にだけ訪れる!
「死ぬほど努力し続けた」経験はありますか?
私はあります!
大学受験と就職活動です。
ただし、どちらも偶然努力できる環境に飛び込めたから継続できたと思っています。
死ぬほど努力した高校受験
私が住んでいた大阪は当時、私立高校の受験が2月、公立高校の受験が3月でした。
中学時代の私は勉強が嫌すぎる余り、受験勉強を早く終えたい一心で私立高校の受験が終わったタイミングで受験勉強を辞めるという暴挙に出たのです。
今ではこの意思決定は間違っていなかったと思っていますが、
高校時代の私はこの意思決定が地獄の始まりだったと考えていました。
私が進学した高校はバカが入学して、死ぬほど勉強させて、ちょっと良い大学に入学させるような高校でした。
嫌々ながらもこの生活を「命を削りながら」1000日間(3年間)継続しました。
その結果、偏差値35だった私は、
目標としていた偏差値60以上の同志社大学に合格することができたのです。
死ぬほど努力した就職活動
幸運なことに、私は大学1, 2年生の時に見たドラマをきっかけに
「将来ここで働きたい」と思える企業(A社)を見つけることができました。
しかし、大学院1年生の時、A社を第一希望としつつも、
夏インターンで10社以上の面接を受け、まさかの全落ち。
このままではA社の内定は勝ち取れないと考え、本気で行動することを自分に課しました。
学生の本分「勉学」そっちのけで何をやっているんだって話ですよねw
夜行バスに乗った数は数え切れません。当時の私はそこまで本気だったのです。
その結果、(名前は伏せますが)日本人であれば老若男女全ての人が知っているであろうA社に入社することができました。
ただし、そこまで努力して入社した企業であるにも関わらず、辞めるという選択肢を取ってしまいそうになったのですが・・・このお話は後述します。
決して自慢がしたいわけではありません。
ポテンシャルの低い私でも、死ぬ気で努力し続けた結果、人生の各ステップで結果を残すことができたのです。
そして現在、私は新たに死ぬほど努力して叶えたい夢を見つけました。
高校受験、就職活動をも超える熱量でその夢を実現させたいと思っています。
【死ぬほど仕事に行きたくない!】
夢にまで見た理想の企業での仕事!
心に夢と希望を抱いて社会人生活スタート!
のはずが、
たった1年で「仕事を辞めたい病」にかかってしましました。
当時任されていたプロジェクトが上手くいかず、プレッシャーに押し潰されたのです。
・プロジェクトが1日遅れようものなら1億円以上の損失が生まれる
・現状打破しようとするも否定される
・残業は60時間越え
辞めたい、辞めたい、辞めたい
毎日が憂鬱で、サザエさん病にもかかりました。
周りの助けもあり、なんとかプロジェクト自体は達成できましたが、
これといった達成感も感じられず、
「なんでこの会社で働きたいと思ったのだろう。思い描いていた働き方じゃない」
こんなことを思うようになってしまっていたのです。
【仕事が嫌ではなくなったきっかけ】
「仕事辞めたい病」にかかってから1年頑張りましたが、心身ともに疲れ切っており、感情も改善せず、正直鬱に近い状態になっていました。
「もう無理だ」と思い、再来月で会社を辞めることを上司に打診。受理してもらい、さあこれからどうするかと考えていた矢先、体調に異変が起きたのです。
頭では会社を辞めることを理解していても、体がその事実を受け付けない。
毎朝吐くことから始まり、食事は昼にうどん一杯だけ、夜も眠れない、なぜか毎晩涙が溢れてくる。この状態が2週間続いたのです。
完全に心と体が分離してしまっていたのです。
この状況を見かねて声をかけてくれた人がきっかけで、
自分のキャリアとは?人生とは?を考えることになりました。
・なぜこの会社に入社したのか?
・人生で達成したい目標は?
・目標達成に必要なキャリアプランは?
全てを曝け出し、情報を整理できたことで自分の目標を明確にし、
その目標を達成するためのキャリアプランを立てることができました。
その結果、心と体が一致し、「仕事辞めたい病」が改善したのです。
上司の計らいで、辞表は上司で止めていたことを告げられ、何とか今の会社に復帰することができました。
上司には感謝しかありません。
【なぜ理系キャリアコーチング事業を始めたのか】
今の会社に残ることが決定した後、偶然学生さんと関わる機会を頂きました。
「理系新卒採用やってくれないか?」
私の答えは即YES
ES添削、面接練習、座談会を通じて100人以上の学生さんと会ってきました。
そして、学生さんと関わる中で、どうしても気になったことがあったのです。
それは、
ほとんどの学生さんの志望動機とキャリアプランが不明確!
志望動機を聞くと必ず以下のような答えが返ってきます。
やりたいことや、その会社で成したいことが全くイメージできていない人が多かったのです。
加えて、会社を辞める辞めないの葛藤に悩まされていた私だからこそ、
その学生さんが自社にとって必要な人材か よりも、
この学生さんたちのキャリアプランや将来が心配
という感情が勝ってしまったのです。(採用担当としては失格ですが・・・)
私と同じような状況に陥らないか。
人生や仕事に意味を見出せず、絶望してしまわないか。
そして、同じことで悩む理系人材が日本中にたくさんいるのではないか。
このような考えが脳内を過ぎったのです。
そのため、1人でもキャリアで悩み苦しむ人を減らしたいと思い、
理系キャリアコーチング事業を立ち上げました。
【最後に】
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
ここまで読んで、「かず」だからできたんでしょ?私はできない人間だから・・・と思っている人もいるかもしれませんが、そんなことは全くありません。
なぜなら、私が本当に凄い人間だったのであれば、27歳にもなって
「キャリアが〜」、「人生の目標が〜」
などの悩みを持つことはなかったはずです。
だからこそはっきり伝えたい事は、
私は凡人であり、最初からキャリアプランが明確であったわけではありません。
たまたま話を聞き、「私の知らない私」に気づかせてくれる人が近くにいただけ。
人生というのは、意外と何気ない出会いから激変していくものなのです。
ただ、出会えたからといって何も行動しなければ、
キャリアプランを立てることができないこともまた事実です。
今のキャリアや仕事に違和感・不安・不満がある人は、
まずは一歩踏み出してみてもらえたら良いのではないでしょうか。
私の発信が、
皆さんの「行動」を起こすきっかけになれると、これ以上の喜びはありません。
公式LINEではより詳しく「キャリアプランの考え方・作り方」について、発信しています。
無料動画の配信や無料キャリア相談も実施していますので良ければご登録下さい。
役立つ情報も少しずつではありますが、発信していきます。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
あなたのキャリアが夢や希望に溢れるものになることを心から願っています。
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