8月6日ヒロシマ
今年はいろんなことがありすぎて、時間の流れがおかしい。梅雨が長かったせいもあるし、夏休みが始まっていないため、まだ7月が終わっていない感じがする。今朝、平和式典の様子をラジオで聴いて「そうだった」と気づいた。なにか異変があると、こうした大事なことを後回しにしたり、気づくのが遅れたりする。そうやって大事な歴史の一幕が記憶から薄れていくのかと思うと、これではいかん、と襟元を正す気持ちでラジオを聴いた。
わたしは広島に行ったことは2度あるが、1回目は開催期間の最終日の写真展を短時間で見るだけに終わり、2回目の用事はお葬式で、葬儀場と菩提寺の二箇所だけしか行けなかった。だからまだ、市街地を歩いたことも、原爆の爪痕も自分の目で確認したことがない。
しかし、戦争と平和、憲法については時々考える。その時にヒロシマとナガサキのことは必ず思い返す。瞬時にして命を奪われた人だけでなく、事後に亡くなった人たちは心が癒されぬまま、この世を去ったのだろうし、今も苦しんでいる人がいるのは想像に難くない。史実としての戦争に終わりはあっても、心の中の戦争には終わりがないのではないか。
15年前、「戦後60年」の節目で、広島での式典が新聞の一面に大々的に取り上げられていた。当時わたしは、市役所のとある部署で働いていて、そこには定年退職した公務員(主に教師)が「人権相談員」という役職で勤務していた。その中の一人、小学校の校長を務めた男性が、新聞を見ながら「何が平和だ」と言い始めた。いい加減にしろ、と新聞を机に叩きつけた。「わたしはね、こういう記事の書き方は大嫌いなんだ」と言う。
「戦後、解決していない問題はまだまだたくさんある。この式典で平和について考えを深めている人も多いだろう。しかし、8月6日のこの日、心から平和を祈り、平和を誓う人がどれだけいるというのか。わたしは過去に何度も、8月6日のこの日、広島を訪れたことがある。平和式典の会場は厳かだった。でもほんの数時間だ。一歩街に出ると、若者はチャラチャラ遊びまわり、パチンコ屋からはうるさいほどの音が道路に流れ出し、歓楽街は賑わっていた。それなのに、この日の記事の最後には必ず『この日、広島は一日中、祈りに包まれていた』と書いてあるんだ。嘘だ。真剣に平和について思いを寄せる人間がどれだけいるのか。原爆の犠牲者やその遺族について、どれだけ関心を持っているというのか。誰も祈ってないじゃないか。それを定型文みたいな文句を並べて、なにが新聞だ。もっと問題意識を持って街を見ろ。そつなくまとめるんじゃなくて、これからの日本、私たちがどのように平和を考えていくべきかの提案や問題提起があってこその新聞じゃないのか」
一気にそのようなことをまくし立て、はふん!と鼻息を荒く吹き出すと、カタンと椅子を立ち、上着を着て出て行った。
それ以来、わたしはこのことを度々思い出す。この日、広島が祈りに包まれるのは、嘘じゃない。亡くなった人、その遺族、関係者に寄り添う祈りを運ぶ人が、全国に、世界中にいるのではないかと思う。もちろん、わたしもずっとそうありたい。