吹奏楽を聴いてきた
吹奏楽なんて、ぜんぜん興味がなかった。ムスメが吹奏楽部に入部するまでは、音楽には一生関係のないと思っていた。身近な音楽はポップスやアニソンくらいで、クラシックなど高尚な音楽は敷居が高くて聴くのも照れる。そんなわたしとオットが、今や毎月のようにどこかで吹奏楽を聴いている。
特にコンクールは、地区、支部、県、ブロック、全国大会を聴いてきたので、「聴く耳」みたいなものが少しは育ったのかもしれない。「今のテンポがズレてたよね」「低音が薄かったな」などと夫婦でいっぱしなことを言ったりするようにもなった。(実際には的外れなことを言っているかもしれないので、お恥ずかしい限りだが。)
昨日は「ブラスパワー2020」という演奏会に行った。市内の中学5校と、九州の強豪高校の3校が演奏を披露した。これは「発表会」のような位置付けで、特に勝ち負けがあるわけでもない。しかし、今月末に行われる新人コンクールや、夏のコンクールのライバルたちが集まるので、どんな演奏なのか興味津々だ。さらに、高校の3校は、九州大会、全国大会の常連校で、わたしは特に鹿児島から参加した「松陽高校」が楽しみだった。
中学生はどの学校も頑張っていた。いい演奏だったけれど、高校の演奏が始まったとたん、すっかりかすんでしまった。音の迫力が違う。肺活量や体力の差なのかもしれないが、スパーンと出てくる音がキラキラしている。鋭く輝くような音、穏やかに繊細に心にしみる音、その組み合わせが美しく、気負いなくのびのびと演奏される。素人のわたしにとって本当に不思議なのは、打楽器がどれだけ小さい音でも聞こえることだ。木管、金管、打楽器それぞれの高音、低音が綺麗にハモるような歌声に聞こえてくる。
コンクール規定では中学は50名、高校は55名が演奏する。しかし、昨日は演奏会だったので、高校によっては100名以上が演奏し、踊ったり歌ったり、会場のみんなに振り付けして一緒にダンスしたり、華やかで楽しい演出もたくさんあった。
帰り道、すっかり満足したわたしが「すごかったね、楽しかったね」と言ったらオットは「うーん。なんだかなー」と表情が硬い。どういう意味かと聞いたら、「緊張感がない」と言う。当然ではあるが今回は、コンクールの「一音も間違えられない」「練習の成果を出し切って、次のステージへ!」みたいな気迫はなかった。オットはあの張り詰めた緊張感の中で聴くのが好きらしい。そして入賞したりしなかったりで、喜びの、あるいは悔しさの涙の中に、青春をかけた一人ひとりのドラマが見えてくる。その情景が心に響くのだと言う。
なるほどね。同じ吹奏楽を聴きながら、全然別のことを考えていたんだな。3年生の「ここで終わったら、わたしの部活は終わり」という崖っぷちの心情、その先へチャレンジしたい、もっといい演奏をしたい、という意欲がビシビシと伝わってくる。だから悔いのない演奏をという気迫。確かにあの緊張感はたまらない。
どう聴いても、どう楽しんでもそれは自由。それが音楽のいいところだなと思う。