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スナップ

スナップエンドウにはいい思い出とイヤな思い出がある。

ちょうど4年前のゴールデンウィークに、わたしは離島にいた。オットの父方の実家である。オット、わたし、ムスメ、お義母さん、オットの兄家族の七人で向かった。目的は、お義父さんの納骨のためだ。

島では誰もがお互いを知っていて、集落に足を踏み入れた時には「どこの子?」と声がかかる。「あんた、誰やったかね」と言われることもある。

うちのムスメが「どこの子?」と聞かれて苗字を言ったら、「ああ〜、あっちがたの子か」と妙に喜ばれた。お義父さんは亡くなる2年くらい前まで毎年1〜2回は島に帰っていた。帰ったら一週間くらいは滞在して、ご近所に魚や野菜をもらって、ひとり気ままに、時には幼なじみとお酒を飲みながら、楽しく過ごしていたらしい。

島には「農協」と呼ばれるJAが委託販売しているお店が1軒と、酒屋が1軒。あとは自動販売機がフェリー乗り場にあるだけだ。店は暦通りに休むから、わたしたちが何かを買うことはできない。家にはテレビもラジオもなく、清々しいほどに娯楽はない。自然に親しむしかないのだ。

早朝、冷えた空気と鳥のさえずりで目が覚め、夜は漆黒の闇に広がる星空か、月明かりを楽しみ、波の音を遠くに聴きながら目をとじる。

朝がた、お義姉さん(仮名・ヤーさん)と一緒に海岸沿いをブラブラと散歩していたら、おばあさんが「あら。あんた、見たことあるが」と声をかけられた。苗字を言ったらヤーさんの方を見て「あ〜、あんた会ったことあるがよ」と嬉しそうだった。何年か前に、ヤーさんは島に来たことがあった。おばあさんは「あとでうちに遊びに来んさい」と人懐こい笑顔でそう言った。

お義母さんに「あそこに行くならこれ持っていき」と『銘菓・ひよ子』を持たされて、わたしたちはおばあさんの家に向かった。海風の塩害を避けるためか、家々の壁はコールタールの黒塗りだ。ぐるりと塀に囲まれたおばあさんの家は、とても立派な造りで、母屋と離れ、倉と納戸があった。その脇に、畑もある。おばあさんは『ひよ子』を恐縮しながらも喜んで受け取ってくれた。そして、ちょっと待っとってよ、と奥に入っていった。

「うちで取れたんよ、持っていかんね」と、おばあさんは大きなザルを持って来た。「もうね、一番いい時期は過ぎたんやけどね、これが今年最後の収穫」と大量のスナップエンドウをわたしたちにくれた。「こんなにいいんですか?」と聞けば、「うんうん、もう孫たちにも持って行かせたし、あとはアタシだけやからね。まだもうちょっと取れるし」と言う。「これをね、沸騰した鍋に塩を入れてね、茹でるんよ。サッと色が変わるけね。ええ色になったら引き上げるんよ」と茹で方を教えてもらう。茹で具合は?と聞くと「そりゃ、食べながら見てみんと」と笑った。あ、やっぱそうですよね。

しばらく雑談した後、わたしたちは「それじゃ、失礼します」とおばあさんの家を出た。「またおいでの」と声をかけてくれた。「はい、お元気で」と挨拶をしたが、あれから4年。おばあさんは元気だろうか。

わたしとヤーさんは大量のスナップエンドウの筋を取り、おばあさんに言われたように塩茹でにし、みんなで食べた。新鮮な歯応えは、カリッと心地よく、爽やかな青モノの味にジュワッと甘みが加わって、なんとも言えない美味しさだった。マヨネーズなどつける必要もなかった。それ以来、わたしの大好物になったのだが、あれ以上のスナップエンドウには未だ出会えないでいる。

さて、よくない方の思い出だが、いい思い出が台無しになるので、書かないでおく。



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