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もうそう

わたしたちの文章教室には、小学校4年生から6年生までが来てくれる。その中でも、ある5年生の女の子の感性が独特で面白い。

テーマを与えず、「なんでも書いていい」のが、わたしたちの教室だ。好きなことをどんどん書く人もいるが、テーマを与えないと書けない人もいる。多くの場合は後者で、いろいろ書いていくうちに次第に前者になっていく。

しかし、彼女は最初から前者だった。「あるところに歯の親子がいました」とか「ぼくはあんまん。いとこの肉まんがあんこ好きで、ぼくの頭をかじるんだ」とか、「あじさいの花がきれいだけど、ぼくは写真を撮るのが下手なので、プロのカメラマンの墓さんにお願いしてみた」とか書く。墓とはあの墓のことである。その想像の世界に圧倒される。

彼女は「物語を考えている時が一番好きな時間で、下校する帰り道で、いろいろと妄想をふくらませるのが楽しい」と言っていた。そして、「一生けんんめいに考えて書いている。ただ思い付いたことを書いているだけではなくて、何度も書き直して完成させている」とも言っていた。

小学生に「書くことが楽しいな」と思ってもらえたら。そう考えて始めた文章教室だ。楽しんでもらえているのなら、それがなによりである。

よく『子どもの書くものには大人にはない着眼点がある』『子どもの想像力の豊さに驚かされる』と言われるが、そんなのはごく一部だと思う。子どもは誰かの真似をするし、大人から認められる方法を知ってしまったらそれを活用する。その先のオリジナリティにたどり着く人は少ないと感じる。

『みんなちがってみんないい』をよく引用されるが、子どもは自分が人と違うことを恐れていることも多い。それが日本人だけなのか、世界中でそうなのかはわからないが、少なくともわたしの目の前にいる小学生たちの多くは、自分のどこが人と違うのかを確認できないでいる。成果を競うことは得意でも、表現の自由さにおいてはいつも不器用で臆病に見える。

もっと自由でいいんだよ、と思う反面、自分がそれを制限しているのではないか、と不安にもなる。わたしこそがもっと自由な心で生きなければ。そして来年度もまた、この活動の中で小学生を見守っていきたい。



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