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かくにん

朝、ムスメがお腹が痛いと言ったので、「病院に行くように」とお金を置いて、仕事に出た。1万円である。大金だ。ちなみに、千円札を5枚と五千円札を1枚、という組み合わせであった。念のために2回数えた。よし。

仕事から帰ると、テーブルに千円札が3枚置いてあった。7千円もかかったのか。血液検査とレントゲンかしら?それとも高価な薬を処方されたのだろうか、と領収書を見ると、診察と処方薬で合計3千円未満であった。

なーにぃいいい!差額の4千円を一体どこへやったのだ!とムスメを問い詰めたら「知らない。わからない。覚えてない」と言い、ふてくされた。お金の入っていた袋から、千円札を2枚出した。薬局では、710円だったから、1,010円出した。と言う。

わたしはすぐさま自転車に乗って、病院に向かった。確認である。受付で「すみません、うちのムスメが支払いの時に千円札のつもりで5千円を出してないでしょうか」と図々しくも尋ねた。「え?千円札でしたよ」と受付の人は自信たっぷりに言った。そうか。薬局に行って同じことを尋ねたら、こちらはレジを開いて「千円札でしたよ」と言い、さらにタブレットを確認して入金額は1,010円で、お釣りが300円でした、と言った。ムスメの供述と一致している。

病院も、薬局も、「レジを締める時、確認しますので。金額が違ったらお電話します」と言ってくれた。わたしは諦めて帰ることにした。

わたしは家に戻りながら、心の中で「なぜお金を渡すとき、確認をしなかったのか」とムスメを責めていた。しかし、病気で具合が悪い時、そこまでできないこともあるな、と思った。差額4千円。どこでどう失ったのか、その確認をしたかった。タイムマシンで数時間前に戻って、ムスメの歩いた経路を見てまわり、病院でお金を渡しているところ、薬局で支払いをしているところを見たかった。おーい、ドラえもーん。

帰りついたわたしは、ムスメに「この先、人からお金を預かることもある。そんな時は、いくらあずかったのか、必ず数えて確認しなさい。お金を預かった人の責任は重い。お金は怖いものだから」と言った。わたしはハッとした。お金が怖い?いかん。お金は怖くない。ムスメにそんなふうに思わせてはいけない。「お金は大切なものだから」と言い直す。「とにかく、確認だよ」ムスメは泣きそうな顔で座っていた。

晩ごはんの後、病院から電話があった。「すみません。確認してみたら、5千円札を預かっていたようで、お釣りをお渡ししてなかったようです」
そうですか。確認ありがとうございました〜。気持ちが晴れた。

確認、確認って、言う自分が気持ち悪いけど、やっぱり確認は生きるために必要なスキルである。

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