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40代の女性という生き方

世のなかにはキラキラした情報や人で溢れている。
けど、本当の意味でキラキラした女性って少ないのかもしれない。
むしろみんなキラキラした姿を見せ続けることで自分を保って、必死に生きているのかもしれない。
ふと、そんなことを思った。
きっかけは「40代ってなんなんだろう」と感じたこと。
そして「40代 人生 愚痴」と検索してみると、想像以上に同じように考えている人が多いことに驚いた。
いまの一番の解決策は、SNSやYouTubeから離れて他人と一旦距離を置くことなのかもしれない。

不安のきっかけはSNS上の優秀な人たち

40代になりたてのころは、仕事と遊びをがむしゃらに頑張ってきた20代と、結婚・妊娠・出産・子育て・離婚・シングルマザーを全て経験した30代の経験が重なって、いい具合に人生が進んできたなと感じていた。
しかし44歳になったいま、果たしてこのままで大丈夫なのだろうか、という不安が私を襲うようになったのだ。
これまでシングルマザー+フリーランス+沖縄移住者という、どこにも属さずどこへでも飛んでいける立場でやってきたけど、振り返ってみると私が成し遂げたことはひとつとしてない。
周りの子たちは起業したり特技を仕事にして成功したり、コミュニティを作ったりと毎日忙しそうに動いてる。
一方私は娘の部活を応援しているだけの、しがないフリーランス。
私、このままで大丈夫か?と、どどどっと一気に不安が私を襲ったのだ。
ひとつの原因として挙げられるのは、SNSやYouTubeをよく観るようになったから。
そろそろSNS運用をしっかりしないとなと思いだしてから、少しずつ同業者や活躍している人のSNSを覗くようになった。
と同時に、そのチェックはYouTubeにも流れるようになった。
それらから得たものは、劣等感と焦りだった。

心がいまいち盛り上がらない

我々世代はポケベルからスタートしたような、インターネットも携帯もない時代において青春を謳歌していた。
休み時間になると学校の公衆電話に列を成し、他校の友だちに連絡をするのが唯一優越感を得られる瞬間だ。
「私はほかの学校で仲良くしている人がいるのよ」
「私は他校の子とも遊んでいるのよ」
自分の行動範囲が広い自慢を無言でアピールできる場が公衆電話であり、必死に番号を打つ姿だった。
また余計な情報が少ないから、自分がいいなと思ったことに集中できるのもこの時代の特徴だろう。
比較対象は自分の生活圏内であり、テレビのなかは手の届かない存在と割り切れる。
赤の他人を比較対象とすることは、まずなかっただろう。

だからなのか、SNSから学ぶものが若い世代とは違うのかもしれない。
彼女たちは自分たちを表現する場として上手に使っているが、いまいち私たちには使いこなせない。(使いこなせている人もいるが)
50代ともなるとバブル世代を生き抜いた力強い女性が、憧れの50代を象徴していたり、子育てを終えた女性がひとり生活を楽しんでいたりと、私たちが「羨ましい」と思えるポイントが多い。
しかし子育て真っ盛りの40代が、SNSで「いいね」をもらえるような事象ってあるだろうか。
稀な仕事を紹介して「いいね」をもらったりはするが、そこに対して「なるほど、こういう情報が欲しいのか」と思うだけで、いまいち心が盛り上がらない。

最近、心が盛り上がった瞬間といえば娘が部活の試合でいい動きをした時だろう。
メキメキと上達する娘の成長を楽しむ姿しか、いまの私にはなく、あとはマイペースな息子に頭を抱える姿のみ。
「沖縄」という場所柄、いくらでもいい感じの写真は撮れる。
しかし、それをアップしたとしてもいまいち心が盛り上がらない。
燃えろフリーランス時代も去り、この先どうしようかなーなんて悠長に考えている時期も終わり、やばいやばいと焦っているのがいまの私だ。

これは、そういう時期なのだろうか。
また燃え上がる日が来るのだろうか。
または、環境を変えるタイミングなのだろうか。

40代の生き方を模索している。
そんな40代もあと6年で終わる。
13年後には子どもたちは大学を卒業し(予定)、ひとりぼっちの生活になるだろう。
その時私はちゃんと生きられるのだろうか。
はあ、不安しかない。
1日1日一刻一刻と時間が過ぎるのだから、余計な情報を得て自己嫌悪に陥って動けなくなるくらいなら、意味不明な自信を持って進み続ける方がいいに決まっている。
だから私は少しSNSから離れようと思う(多分)。

うれしい!ありがとうございます!大好き❤️