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高次脳機能障害とは


目に見えないものに気づくことの大切さ


私たちは、日々さまざまなものを見て、聞いて、感じながら生きています。しかし、私たちが目にしているものが、この世界のすべてとは限りません。風が吹くとき、私たちはその風自体を見ることはできませんが、木々が揺れる様子や、頬をかすめる感覚で、それを感じ取ることができます。人の生きづらさや苦しみもまた、同じかもしれません。目には見えなくても、確かにそこに存在している。それに気づけるかどうかで、誰かの人生のあり方が大きく変わることもあるのではないでしょうか。

高次脳機能障害は、そうした「見えにくい生きづらさ」のひとつです。ある日突然、昨日までできていたことが、うまくできなくなってしまう。話を聞いて理解したつもりでも、気づけば記憶が抜け落ちてしまっている。感情のコントロールが難しくなり、自分でも思いがけないほど動揺してしまうことがある。それでも、見た目には変化がないため、周囲には伝わりにくい。
「普通に暮らしているように見える」からこそ、「普通にできるはず」と思われてしまうことも少なくありません。

本人にとっても、その違和感はある日突然ふと気づくこともあれば、日々の生活の中で少しずつ積み重なっていくこともあります。受傷した直後は、昨日と同じように過ごせていると思っていたはずなのに、何かが噛み合わない感覚に気づく瞬間がある。仕事の手順を思い出そうとしても、なぜかスムーズに進まない。

会話をしていても、ふとした瞬間に言葉が引っかかるように感じる。何気ないことで感情が揺さぶられ、自分でも戸惑ってしまう。「どうして?」「なぜ今までのようにできないのだろう?」「私の努力が足りないのだろうか?」——そんな疑問が湧き上がるものの、すぐに答えが見つかるわけではなく、昨日までと何も変わらないはずの世界の中で、自分だけがどこか違っているような感覚が静かに広がっていき、

「どうして?」
「なぜ今までのようにできないのだろう?」
「私の努力が足りないのだろうか?」
そんな疑問を抱えながら、懸命に日常を送っている方がたくさんいらっしゃいます。

葛藤の想像


もしも、昨日まで当たり前に歩けていたのに、突然、思うように足が動かなくなったら。
もしも、話そうとした瞬間に、言葉がうまく出てこなくなってしまったら。
昨日と今日がつながっているはずなのに、「昨日までの自分」と「今日の自分」に違和感を抱かざるを得なくなったら——。
高次脳機能障害を持つ方々の中には、そうした戸惑いを日々感じながら生きている方もいらっしゃいます。

「なぜ?」
「どうして?」
「私の中で、何が変わってしまったのだろう?」

昨日までできていたことが、急にうまくできなくなる。
自分の思考や行動に違和感を覚え、それを言葉にしようとしても、うまく説明できない。

世界は昨日と変わらないのに、自分の中では何かが確かに変わってしまったように感じる。

それが何なのか、どうしてそうなったのか、自分でもはっきりとは分からない。
けれど、日常のひとつひとつの場面で、その違和感が確かに存在していることに気づく。
周囲の人々から見れば、これまでと変わらず生活しているように見えるかもしれません。
けれど、本人にとっては、これまで当たり前だった感覚や動作が、どこかぎこちなく、
自分が自分でなくなってしまったような、不安が心の奥に広がっていくこともあるのです。

「普通」という言葉を見つめ直す


「普通に話す」
「普通に仕事をする」
「普通に生活をする」


私たちは日常の中で、「普通に」という言葉をよく使います。しかし、その「普通」とは、一体何なのでしょうか。
昨日できたことが今日もできることが「普通」なのか、何かのきっかけで変化が生じても、それを受け入れながら生きていくことが「普通」なのか。もしも「普通にできるはず」という考え方が、誰かを苦しめてしまっているとしたら?
もしも「普通とはこうあるべきだ」という思い込みが、
知らず知らずのうちに、誰かの生きづらさを生んでしまっているとしたら?
私たちが「普通」と思っている枠の外に目を向けることで、それまで気づかなかったものが、見えてくることがあるかもしれません。

「努力すればできる」という言葉の影響


人は、誰しも「努力すれば報われる」と信じていたいものです。
何かを練習すれば、上達する。
意識して取り組めば、できるようになる。
そう考えて、前向きに生きてきた方も多いのではないでしょうか。でも、「努力しても、どうにもならないこと」があったとしたら?

「忘れないように、もっと集中しよう」
「仕事のミスを減らすために、もっと気をつけよう」
「感情のコントロールを意識しよう」

そう思っても、思うようにいかないことがある。
それは、決して本人が怠けているからではありません。
「できるはずのこと」ができなくなるというのは、想像以上に苦しいことなのです。
それなのに、周囲から「努力が足りないのでは?」と言われてしまうと、「頑張ってもできない自分が悪いのではないか」と、自分を責めてしまう。その苦しみが積み重なると、「もう何をしてもダメなのではないか」と、生きる気力すら失われてしまうこともあるかもしれません。

理解するとは


誰かを理解するということは、「この人はこういう人だ」と決めつけることではありません。むしろ、「もしかすると、こういうことかもしれない」と、さまざまな可能性に目を向けることなのではないでしょうか。
「忘れっぽい」のは、怠けているからではなく、記憶の定着が難しくなっているのかもしれない。「感情が不安定になる」のは、性格の問題ではなく、脳の機能が変化した影響なのかもしれない。「仕事がうまくできなくなった」のは、本人の努力不足ではなく、これまでとは違うサポートが必要になっているのかもしれない。
ひとつの見方だけでなく、いくつもの解釈を持つこと。
「こうあるべき」という枠を外して、「こういう可能性もある」と考えること。もしかすると、それが、誰かの生きづらさを少しだけ和らげることにつながるのかもしれません。

高次脳機能障害と時間の経過——「10年一区切り」と言われる回復の過程


高次脳機能障害は、回復に長い時間を要する障害のひとつです。回復の過程は個人差があるものの、「10年一区切り」と言われることもあります。この期間をどのように過ごすかによって、その後の生活が大きく変わることがあるのです。

脳は、使わなければ機能が低下していくもの。リハビリや日常生活の中で意識的に脳を働かせることが、新たな回路を作り、少しずつできることを増やしていく助けになる。しかし、もしも脳を使う機会が減り、積極的に考えたり、学んだりする時間がなくなってしまうと、認知機能が低下し、認知症のリスクが高まることもあると言われています。

「使わなければ衰える」——それは、筋肉だけでなく、脳にも言えることなのかもしれません。

会話の難しさ——言葉を組み立てる時間が必要になる


高次脳機能障害の影響により、日常的な会話のやり取りが難しくなることがあります。相手の話を理解し、自分の考えを整理し、適切な言葉を選んで返答するという一連の流れが、スムーズに進まなくなることがあるためです。

話の内容を把握しながら返答を考える際、思考の整理に時間がかかり、その間に会話が進んでしまうことで、話題についていけなくなることがあります。会話の流れが変わるたびに、「今、何の話をしていたのか?」「どう返せばよかったのか?」と戸惑いを感じることも少なくありません。

これは、決して話を聞いていないわけではなく、頭の中で言葉を組み立てるのに時間が必要なために起こるものです。しかし、会話は自然に流れていくため、返答が遅れることで誤解を生むこともあります。こうした特性を理解し、会話のテンポを調整したり、少し待つ余裕を持つことが、スムーズなやり取りにつながる場合があります。

頭痛がひどい日は、言葉が単語になってしまう


高次脳機能障害の影響は、その日の体調によって変化することがあります。特に頭痛が強い日は、思考を整理することが難しくなり、言葉がうまく出てこなくなることがあります。文章を組み立てようとしても、頭の中がぼんやりとしてしまい、言葉がまとまらず、「単語しか出てこない」といった状態になることもあります。

伝えたいことがあっても、適切な言葉が浮かばず、思考の整理が追いつかない。話したい気持ちはあっても、それを言葉にするまでに時間がかかり、うまく伝えられないことへの焦りが募ってしまう。まるで、言葉が霧の中に閉じ込められてしまったかのように、必要な言葉が見つからないもどかしさを感じることもあります。

こうした状態を理解し、急かさずにゆっくりと話を聞くことや、会話のテンポを調整することが、高次脳機能障害を持つ方との円滑なコミュニケーションにつながることがあります。

言葉が出なくても、伝えたい気持ちは変わらない


高次脳機能障害の影響で、会話の流れについていくことが難しくなることがあります。言葉を組み立てるのに時間がかかり、考えているうちに話題が変わってしまい、何を話していたのか分からなくなることもあります。思うように言葉が出てこないもどかしさや、伝えたいのに伝えられない焦りが積み重なり、会話を負担に感じることも少なくありません。

また、体調によってはさらに言葉が出にくくなり、頭痛がひどいときには単語でしか話せなくなることもあります。話したいことがあっても、適切な表現が浮かばず、思考がまとまらないまま言葉を探してしまう。その結果、相手の問いかけに対して十分に応えられず、意思の疎通が難しくなることもあります。

しかし、言葉がすぐに出なくても、伝えたい想いは確かにそこにあります。会話のテンポを少し緩め、焦らずに相手の言葉を待つことで、伝えやすくなることもあります。スムーズな会話よりも、お互いの気持ちを伝え合おうとすることが何よりも大切なのかもしれません。

気づくことの力


「支援しよう」と構える必要も、「特別な配慮をしなければ」と気負う必要もありません。ただ、「見えているものだけがすべてではない」と知ること、そして、「こういうこともあるかもしれない」と考えてみること。また、誰かの変化に気づいたとき、それを「おかしい」と決めつけるのではなく、「もしかしたら、何か理由があるのかもしれない」と思うことができたら、それだけで、その人は少しだけ、安心できるのかもしれません。

ただ、目には見えないものに、そっと目を向けること。
それが、誰かの生きる力につながるとしたら。そんな未来を、一緒に考えていけたらと思います。

インタビュー


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#高次脳機能障害


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