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肉じゃが

料理を覚えたのは恥ずかしながら30歳からだった。
それまでは実家でのうのうと母の作る料理をただ食べているだけだった。

20代前半くらいの頃、母が旅行で家を空け、家に誰もいない日があった。
料理なんてできなかったけど、肉じゃがを作ってみようと思い立った。
まだ出汁をどれくらい入れるとか、調味料や野菜の入れる順番も知らなかったし、今みたいにすぐに何でも調べて答えをくれるインターネットなんてなかったので、見よう見まねで作った。
じゃがいもは生煮えだったけどまあまあおいしくできた。

実家の前の家に、子供のころから知ってるおじさんが一人暮らしをしていた。おじさんはその家の一室にあった家業の従業員だったが、そのままその家に養子に入ったか、婿になったかで、奥さんが亡くなったあと、長いこと一人で暮らしていた。

ふと作った肉じゃがをそのおじさんにお裾分けしようと思いついた。
醤油を貸し借りしたり、おかずや野菜をお裾分け分けしたり、そういう昔ながらの近所付き合いがまだある地区だった。
親もいなかったから緊張したけど、おじさんの家のチャイムを鳴らして作った肉じゃがをあげた。
おじさんはたいそう喜んで受け取ってくれた。
そして翌日器を返しに来てくれた時、「おいしかったよありがとう。今日もも残りを頂いたよ」と言ってくれた。

実家のまわりはもう今、そんな関係のご近所さんもいない。
数年後おじさんも亡くなって、家は土地ごと売られ、新しい家に若い家族が越してきた。
その家の裏から見えてた大井町線の線路も、今は地下に潜ってもう見えない。

おじさんのお葬式に行った記憶はない。
身寄りのない人だったのかもしれない。
三輪車に乗ってるくらい小さいころから、おじさんはそこに住んでいた記憶がある。
その家の奥さんの孫とよく一緒に遊んでいた。
もう誰も、その家族が何をしているかわからない。

わたしの親も、あの家を出て、沖縄に移住する。
そうしてもう数年後には、わたしが三輪車で遊んだあの道も、もうあの頃のわたしたちのものじゃなくなって、あの公園も、50m走の練習でダッシュしたあの道も、もう全然、まったく違うものになるんだろう。

ずっと永遠に変わらないものなんてないってわかっているけど、
二度と来ないわたしたちの小さな思い出たちまで、なくなってしまうようで悲しい。

もうあの優しい思い出は、わたしの頭の中にしかないんだ。