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アラサーに生きて 東京
ちょうどアラサーという言葉が生まれた頃にアラサーだったわたしたちは、「アラサー女子」という微かに違和感の漂う言葉とともに二十代後半と三十代を過ごしてきたように思う。
三十代なのに「女子」と自らを呼ぶその痛さをわずかに感じながら、開き直って生きてきた。
「婚活」や「草食系男子」なんて新しい言葉たちもくっついて来た。ネーミングセンスに圧巻する。ロールキャベツ男子なんてのもあったよね。
ちょうどど真ん中でもがいていたわたしだった。アラサーであり、結婚を探しつつ草食系男子と出会いながら、「また草食系だったからだめだった」と、その言葉の意味も使い方もだんだん本来のものとズレてきてそれにさえ気付かずいた、ズレた女だった。
草食系男子はあまりがつがつ女性を誘ったり、連絡したり、熱くなったりしない男性を指すのだろうけど、誘われないのはその人に誘いたいほど魅力を感じないからだったのだろう。
でもそれは、その真理はわたしには矢が鋭すぎた。
そんなことはうすうすわかっていたかもしれないけど、そんな事実は置いといて、世間が流布する新しい言葉たちに必死に自分たちを乗っけて、三茶の古民家居酒屋で愚痴を言っている方が楽しかった。開き直りながらも、美味しいお酒も覚えた。美味しい肴もたくさん知った。
でも途方もなくさみしかった。
東京にいたとき、その寂しさとどう向き合っていたのかと思うほど、東京は孤独な街だった。
一人の人間用にいろんなオプションがあって、寂しくならないようにたくさん用意されているのだけど、 それが側から見ると人の孤独を象徴している。
“人はどうしてこんなに一人で生きるようになったのだろう。”
寂しくてもさみしいと言えない人たち。寂しさに慣れてしまった人たち。寂しさを克服しようともがく人たち。
世間が作った言葉たちに自身を塡めながら、必死に社会と繋がって生きようとする人たち。
35歳で日本を出るまで、わたしも「アラサー独身女子」という言葉に付きまとわれながらずっと来た。ずっとそんなレッテルだった。貼っていたのはわたし自身だった。
客観的に自分自身を見ているつもりで、でも真の心は見て見ぬ振りをしていた。
時折その「振り」ができなくて、夜更けに焼酎を飲みながら堰を切ったように泣いたりした。
この社会で生きていくことに限界を感じていたのかもしれない。
家族も友達もいたけれど、社会がわたしを突き放しているような感じがしていた。
日本は本当に先進国で、ここ(メキシコ)にいると自分が30年くらい前を生きているんじゃないかと思う。
インフラも、人の考え方も振る舞いも、今の東京ではもうとっくの昔に廃れたものばかり。
だけどわたしは、便利を捨ててここへ来た。その感覚はたしかにある。移住を決めたとき、成田空港に置いてきたのだ。
便利さを追えば、かならず人間の歪みが生まれる。便利さだけを追う日本は、孤独をさらに加速させている。
一人用ついたてのラーメンカウンター、無人のコンビニレジ、居酒屋のタッチパネル。
外国人は未来に来たと歓喜する。日本は素晴らしい国だと騒ぐ。
でもその裏で、君たちの国にはない感情が、このシステムの裏で孤独に咽び泣く日本人が、埋もれていることを知らないだろう。
今世界は急速に進み続けて、もしかしたら数十年後にはみんなアメリカや日本のようになっているかもしれない。
便利さは人を孤独にする。
この世界に孤独が蔓延したら、どうなるだろうか。
そんなわたしもアラフォー真っ只中。
店員にオススメを聞く美味い居酒屋にわたしは行き続けたい。
不便さの中で近所の人と助け合うこの街が好き。荷物を預かったり、帰り道に会って家まで乗せてもらったり、誰かの飼い犬をみんなで可愛がったり、それができるのが人間なのだ。