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余ることを恐れた結果、自分がわからなくなった

" 余る ”


上記の単語を見聞きした際に、どのような感情や思考が浮かんでくるだろう。

ちなみに、わたしだったらポジティブとネガティブの両方を連想する。


ポジティブであれば、
「まだ余ってるんだ!ラッキー!」

これは自分が欲しかったもの、求めていたものが手に入る時に浮かぶ。

もう食べきってしまったと思っていたお菓子が実はあと一個残っていた!っていう時、わたしの心は小躍りする。


ネガティブの場合であれば、
「どうしよう、空白があるところを埋めなきゃ・・!」

これは仕事のスケジュールに紐づく。

フリーランスの占い師として活動していることもあり、予約が入らないことには生活費を稼げないという不安から浮かぶ。

スケジュール張の空白が視界に入ると、あばばばばといったよくわからない心情になる。

これは精神衛生上あまりよろしくないので、一旦スケジュール帳をそっと閉じ、気持ちを切り替えて好きなことに没頭する。

明日になったら状況も変わってるだろうと、とりあえず寝る。

そうしていると、いつのまにか予約の連絡が来たりするのであら不思議。



さて、余るというテーマについて思うことを書こうと思った時。

ふと、幼少期や学生時代の記憶が浮かんできた。

今から書くことはキラキラ輝かしい思い出ではないけれど、もしかしたら共感してくれる人がいるかもしれない。

そんな少しの期待も込めて、ここに晒してみようと思う。



小学生の頃、ある日の昼休み。

友達と一緒に ” 花一匁(はないちもんめ) “という遊びをしていた。

『あの子が欲しい、あの子じゃわからん、相談しましょ、そうしましょ♩』

自分たちの仲間に入れるなら誰にする?という、いま考えるとちょっと残酷な遊び。

元は昭和初期に広がった童謡で、花の売り買いの際のやり取りから派生しているらしい。
“ 花=若い女性 “ の隠語でもあり、人買いといった社会的背景もあるそうな。

わたしの記憶ではその当時クラスの中でも人気の子から、先に売れていくような流れがあった。

人気の子というと、可愛い・明るい・スポーツ万能・優しい といったジャンルに当てはまる子たち。

そのどれにも当てはまらないだろう自分は、いつ選ばれるのだろう?もし最後まで選ばれなかったら?

もしも売れ残れば、自分は好かれていないのだろうかと思うわけで。

他者からの評価によって自分の価値が決まるという思考や、そのことへの恐れは幼いながらにも感じていた。


それは小学生の頃だけではなく、最終学歴の短大時代までも続く。

入学式やクラス替えといった、人間関係の新しい節目なんてまさにそう。

クラスのメンバー表を見た時にまずやるのは、自分が一緒にいれる人を探すこと。

誰と誰が仲が良くて、クラス全体の女子グループの構成を予想する。
わたしが入るならここのグループかなと予想がつけば、ひとまず安心。

これがあるから、大人になった今でも学生時代に戻るのは嫌だなぁと思ってしまう。



” 自分が余ってしまうこと “ に対する恐怖心。

学生時代に比べると、20歳を超えた後は次第に和らいでいった。


がしかし、長年の思考癖って知らぬ間に働いてるもんだから怖いのよ。
(自分を守ろうとした結果でもあるんだけどね)

25歳〜30歳まで勤めていた広告代理店時代。

広告運用のプレーヤー、チームマネジメントなどを対応していた。


その頃のわたしは、自分が余らないようにという視点から自分のポジションを作っていたと思う。

会社から求められる、スキル・人柄・役割。

それらを自分に当てはめれば、自分の居場所を確保できる。

食いっぱぐれる可能性は低くなるし、社内でも必要とされやすくなる。


日々アップデートされていく情報産業だもの。
変化の波が常にある組織の中で生き残る術として、もちろんそれは役立った。



そんな働き方を続けて5年。

役職もついて順風満帆に見えた最中、精神や健康状態の雲行きが怪しくなった。

果たして、自分がどんな人間なのかわからなくなったのだ。



わたしという一個人は、本当にそれがやりたいのだろうか。

同僚やチームの後輩たちに伝えたことは、自分の本心からの言葉なのだろうか。

なぜわたしは、いまここにいるんだろうか。



“ 自分が余る “ ことに対する恐怖から守る代わりに
” 自分がわからなくなる “ という結果を得た。



その経験があったからこそ、いまの仕事や生き方に繋がっているのだけど。

自分がわからないという状態をまた体験したいかと問われると、それは断固拒否したい。

目の前も後ろも横も霧だらけの状態は、思いのほか苦しいのだ。





余ることへの恐れは、当然ながらいま現在もある。

だからといって、自分と遠く離れた場所に行くことや、無理やりに居場所を作ろうとすることは辞めた。


わたしらしくいたら、その結果で流れ着く場所があることを知ったもの。


31歳の5月、ここからどこへ行き着くのか楽しみに生きてます。




- つづく -

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