文章を書くなんて、いつ以来のことなのか分からない。
徒然なるままに書く、ただの駄文になりそうなこれはエッセイなんてとても呼べないだろう。
それでも自分の想いや言葉を紡ぐことが出来るこの場所があるなら、私は書きたいと思う。
思えば幼い頃からずっと優しい世界しか知らずに育ってきた。
両親は世間的に見てそれなりに地位の高い仕事に付いていたし、厳しい面はあれど私のやりたいことや行きたい進路にはよっぽどのことが無い限り反対することは無かった。
小中高大学はそれなりに人間関係に傷付き悩んだこともあったけれど、きっと思春期ならば多かれ少なかれ誰もが通る道であったろう。
今現在は友人関係にも恵まれていて、休日には美味しいランチやディナーに行って飽きるまでお喋りをして、たまに旅行に行き自分の知らなかった世界を見聞きして心地よい疲労感に満たされながら帰路に付く。
世間的に見れば、かなり自分は所謂「幸せ者」な部類なのだろう。
けれどもその事に気が付くことが出来たのは、最近のことなのだ。
ある時期まで私は自分の容姿や中身の欠点ばかりを探し、自分のことをあまり好きになれずにいた。
それはつまり、自分で自分を不幸だと思い込んでいたということになる。
自分の周囲を見渡しては自分より優れた容姿や能力、人間関係を持っている人たちに嫉妬し傷付きその度に自分を否定した。
今思えば何という罰当たりなことをしていたのだろう。
自分が果報者であることに気が付かない人間は愚かな生き物だ、とさえ思う。
人間は不幸な記憶ほど脳に蓄積されやすいらしいからそのことも相まって「自分は不幸だ」と思いやすいのかもしれない。
神様がそう決めたのだとしたら、どんな意味があるのかいつか天国に行ったとき真っ先に聞きたいと思う。
何しろ今自分が「幸せ」だと気付けた私は本当に幸福な人間だと言えるだろう。
かの有名な「幸せはいつも自分の心が決める」という相田みつをさんの言葉が、今なら驚くほど素直に心にすっと浸透する。
どうか今現在「自分は不幸だ」と感じている人たちが、今ある自分の「幸せ」に気づくことが出来ます様にとそっと願い今日も生きていこうと思う。