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人生物語3.暗黒の小学校時代後半から中学校前半

過酷な家庭環境は終わりなく続きました。学校には朝ちゃんと行けてなくて小学高学年からの義務教育はほぼ頭に入っておらず、学校に行ったら毎日の食事の献立を考えるのが必死でした。

この時、世のお母さんたちは本当に大変な毎日を過ごし考えているんだと感心していました😁そのくら献立を考えるのが大変!なんせ超食べ盛りの兄たち、しかもマズかったらえらいことになるので、美味しい料理を作らないといけない。この時はクラスの友達に一人一人今日何食べたい?って聞いてはそれを参考にメニューを考えていましたが、子供が食べたいものなのでありきたりな答えばかりでした😅

メニューは一応、健康のことも多少は考えて、和食、洋食、中華となるべく偏らないように気をつけてました。このくらいしか管理出来ませんでしたが💦

そして、洗い物で洗剤負けをしていて手荒れが酷く指一本に一つ以上はあかぎれになっていて痛くて痒くて仕方なく絆創膏だらけの指になってました。友人のお母さんからアロエクリームをもらったりしましたが、子供の私は手がベタベタするのが嫌で殆ど塗らずでした。

その後、暗い小学校時代を卒業しその時の写真は夢も希望もなく下を向いているとても暗い子が写ってました。

中学に入った時は、指紋がなくなるくらい手荒れが酷くなり、その手を見て何も知らない子から「何、その汚い手」って言われて物凄く辛く悔しい思いをしましたね。

毎日、学校から帰って服を着替えて近所のスーパーに買い物に行く。近所では子供が家のことをしている偉い子と言ってくれる大人もいました。

友達は塾に行ったりして楽しそうだったけど、それも叶うことは出来ない。時々、スーパーの帰りに友達が通っている塾の様子を見に行ったこともありました。そんな忙しい毎日ではあったけど、クラブ活動もしていて演劇部で過酷な発声練習を特訓されたことが将来にも繋がっていきます。

365日ほぼキッチンで過ごす私の唯一の楽しみが音楽を聞いたり、ラジオを聞いたりしたこと。今では殆ど見かけなくなったカセットテープで好きなアーティストの歌を聞くだけでなく、調律が合うくらいにまで歌っていたので演劇部で培った発声も役に立ち、いつの間にか学校の文化祭やテレビ番組で歌ったりしていました。

14歳くらいに初めて梅田に出た時、大人の女性から声を掛けられました。

「あの〜お仕事か何かのお帰りですか〜?」

「えっ、私中学生ですが…。」

「あらっ💦…高校生かと思った」

って、全体嘘ですよね!大人っぽく見えたのかきっと仕事してる人に見えたはず、でないと高校生に「お仕事な何かのお帰りですか〜?」なんて言わないし!

主婦業を早くもしていたからか、おませな子になってたんでしょうね。この日から私は14歳から35歳くらいまで歳よりも上に見られてました😅

家庭環境は大変でも、やりたいことは意外としていたな〜って振り返ってこの文章を作ってる時に思いました。昔はざまあKAN KANと言う超人気お笑い番組があって私はファンになってしまい、よくテレビ局に行ったり番組にも出たりしていました。

この時、番組の歌うコーナーに出演が決定しリハーサルに間に合わなかった私は打合せしないまま本番に挑んだんで歌が普通の曲と違い少し短く編曲されていてそれを知らないものだからわからなくなってしまい、途中退場させられると言う最悪な結果になってしまいました😥その後も何度か出るチャンスをもらいましたが、この時から最悪な引き寄せばかりしていたなって思います。

それでも、歌う事が好きだった私は学校の文化祭で多くの人の前で歌ってました。この時から人前に立つ事の楽しさを知りましたね。

父とは相変わらず殴られはしますがずっとそうなるばかりではなく、たまに2人で近所の歌える居酒屋さんとかスナックとかに「お兄ちゃんたちには内緒やで🤫」って言われてよく連れて行ってくれてました。

私は食事をしたらカラオケを歌う、父は娘の歌を聞きながら酒を飲む。こんな日は少し幸せを感じた時間でもありました。この時、お店にいた若いサラリーマンのお客さんから、「歌めっちゃ上手いですね〜!吉田美和の声に似てる」って言われて、その気になりそこからドリカムを知りハマってしまって、また毎日歌いながら家事をして調律が合うまで歌っていたので歌がどんどん上達していきました。

居酒屋で歌う時は、家の近所にある夫婦で営んでいるお店で食事とカラオケが出来るお店にもよく行ってました。私は美空ひばりさんの歌をよく唄ってました。その時お店の女将さんがなぜか泣いてる😲なんで泣いたのかと聞くと私の歌を聞いて色々と思い出したそうです。また他のお客さんも皆が「誰が歌ってるの?」って覗きながら私を見たり、この曲歌える?っていきなりリクエストされたり、そんな心に響く歌が子供の頃から歌えるなんて自分でも驚きと戸惑いがありましたね。父は私の歌を多少自慢していたのかもしれません。

そこからも歌うことがとても大好きな子になっていました。

続く

https://twitter.com/asahirika116

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