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人生物語13.花の専門学生モデル!ファッションショーでフランスへ

家庭の問題は山積みですが、無事に服飾系のファッション専門学生へ進学しました。私は毎年恒例の学園祭でするファッションショーのモデルとして活動していたので、その為に学校に残った感じでした。専門学生ともなればオシャレでカッコ良い先輩が沢山いるので、憧れのような所もありました。

相変わらず、ホステス業とたまにホテルのパーティーコンパニオンのお仕事をしながら通っていたのですが、宿題も多く付いていくのが必死でした。1年の時は先輩に付いて行きながらファッションショーの練習に力を注ぎ、他にも着替えて違うスタイルで演出するなどしていました。

そして、ウエディングドレスの自作自演にもチャレンジしました。

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この時代のデザインと言えば、肩が盛り上がっている長袖スタイルで帽子を被ったりフリフリの傘を持ったりプリンセス系のドレスが結構流行りだったのですが、他のモデルさんは先輩だけど皆さん低めの身長で私だけが高く細身だったので、全く違うデザインのドレスにしようと先生と話し合って、当時では全く珍しく斬新なビスチェスタイルのマーメイドラインドレスをチョイス。

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首元のチョーカーも手作りで、ビスチェのデザインも自分で考えました。オーガンジーの生地をギャザーにして菱形のアクセサリーを縫い合わせました。そんな肩と腕が露出してるドレスはまだあまり世に出てなかったので、とても注目されました。画像2

コレクションではレゲエダンスも披露して思い出深い学園祭でした。

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この時、実は将来的に卒業したら企業モデルとして我が社に来て欲しいと言う企業様からのお声があっなそうなんですが、なんせ私は学校にまともに行かず高校時代と変わらず単位が足りないので正規通りの卒業が出来るのか微妙な状態でした😓

あの時、まともに卒業して企業モデルの会社に入社していたら今の人生とは全く違っただろうなと思います。

その後2年生の時、学校で海外行事がありフランスの学生と日本の学生とでコラボファッションショーをするのが毎年あって、選ばれたモデルの学生と観光と共に選択で行けました。

学費が高い上に、ヨーロッパともなるとかなり費用がかかるのですが、仕事もしていない父に相談したらなんとかすると言ってくれて、ヨーロッパへ行くことが出来ました。

これも、後にわかったことですが私が小学生時代に大変だった代わりに、お金の面で苦労したのは兄(次男)だったようで、この時も自分のことはさて置き妹や家族のためにお金を工面してくれていたようです。

ヨーロッパへは10日間の旅、2日間はフランスのニースでファッションショーのリハーサルを1日して、翌日が本番。私はありがたいことに、トリを飾らせてもらいました。

衣装は〝花魁″ 

皆は本番までに時間があるのでフランスのニースで観光をしていたのですが、私は白粉を塗る準備をするためどこにも出かける事が出来ないので留守番していました。この姿で外出たら「撃たれるんちゃうか?」と思うくらい怪しかったです(笑)

準備途中に寝てしまいホテルの部屋の鍵が開けれなくて友達が慌ててましてが、なんとか目覚めて鍵を開けれました。友達は海外のマクドナルドに行って大きさにビックリしたり、他にも色々と買物して帰って来ました。そこから時間になったので皆で会場へバスで移動して、いざ本番です。

フランス人の学生さんと合流してのファッションショー、日本人らしいスタイルで始まりました。私は2着を担当、最初は和装をアレンジした作務衣のようなスタイルにお面を持って歩くのですけだ、私だけ白粉塗ってるのでお面は被ったまま登場、最後は豪華絢爛な花魁姿を披露しフランス人の男性が和装姿に鬘を被りお手添いをして頂きました。

会場中がざわめきながらその後、鎮まりかえってカメラのシャッター音が会場中鳴り響く。そして皆私の衣装をまじまじと見てました。やはり着物は海外の人には物凄く珍し見えるんでしょうね!

そして、最後エンディングの際に校長先生がスピーチされるのですが、鬘のサイズが合ってなくて重たくて重たくて倒れそうになり何度もこの場から離れてようかと思いましたが、なんとか耐えて最後まで舞台を飾る事が出来ました。

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そして、無事に終えたファッションショーの後は観光が待っていました。フランスのパリでエッフェル塔や凱旋門を見たり、ルーブル美術館へ行ったり、オランダでは風車を見に行きました。季節的に雨季だったので霧雨が降る中の観光、それも幻想的で良かったです。

ベルギーではGODIVAの本店にも行くことが出来ました。お店に入るとブランド店とは思えないくらい小さくてアットホームな感じでした。日本で言う老舗のお菓子屋さんって感じなんですかね。また各国のお城にも行き、なんと言ってもどの場所も建物が凄くて感動的でした。

そんな大変貴重な経験を10代最後にさせてもらって最高のひと時でした。

続く

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