人生物語10.身体に異変が現れ病気がちの10代後半
高校3年になった頃、体調が優れない日が続き、学校に行く途中のバスの中で、急に滝のような汗が流れたと思ったら手足や唇、全身が痺れて来て息も苦しく硬直し倒れて動けなる現象が何度も起きました。結構怖い現象なので起きて欲しくなかったのですが身体は勝手に無意識になってしまっていました。
その時は、何とか自力でバスを降りて、その場で座っていたら信号待ちのタクシーの運転手さんに「お姉ちゃん!顔色悪いで病院連れて行ったろうか?」と言われましたが「いえ!大丈夫です」と薄っすらした力のない声で言ってその場で何とか回復させました。その後も身体の調子はよくないけど遅刻しながら学校に行きました。
もう何かが呪われているのか?取りつかれてるのか?と思うくらい憑依されてる感じがして、身体の異変を自力でコントロールすることは出来ないでいました。
それでも、また同じような現象の症状が頻繁に出てそれがエスカレートしていくようにどんどん酷くなっていきます。
今度もまた同じような症状が出て、バスに乗って移動中に突然滝のような汗が出て全身が痺れてきては、硬直が始まり流石に立つことも出来ず動けなくなってしまいました。バスの終点停留所に着いた時に運転手さんが倒れている私を見てビックリして救急車を呼んでくれて病院に運ばれました。その時は兄(次男)が仕事中でしたが病院まで迎えに来てくれたけど、心配されることはなく説教を言われるだけでした。
「不摂生してるからやろ!」
夜更かししてたりどこか信用のない行動していたのか私にはそんな自覚はありませんが、この年になってから何故か病気にかかっても家族から怒られることはあっても、慰められたり労ってくれることはありませんでした。
それどころか学校をサボったりしたことに怒った兄(長男)から、父の代わりなのか殴られそうになったので、お風呂場に逃げて戸を閉めていました。逃げる場所を間違えた私はお風呂場のガラス戸を抑えていたらそこをずっと叩くもので、ガラスが割れてしまいその拍子に足の指にガラスの破片が当たって、右親指近くに刺さり切れてしまう事故が起きたのでした。兄は焦って冷静になり、その後車で病院まで乗せてくれました。
5歳の時以来また足に数針縫う手術をしました。このことで学校のダンスモデルの練習期間中でしたが練習が出来ない状況になってしまい少し遅れが出してしまって先輩方に迷惑をかけてしまいました。また今も少しだけ後遺症が残り、日常生活まで影響はないですけど、神経が少しおかしくなってしまって、その箇所に当たると飛び上がるくらい痺れて痛みが走るようになってしまいました。学生時代ではこの辺りの影響が少しあって、よく打ち所が悪くて物凄く痛い思いをしていました。
そして、突然の滝のような汗が出て全身が痺れる症状が頻繁に続くようになってから、後に病名が明らかになりました。それはストレスから来る過換気症候群でした。
私の感覚として思うことは心と身体のバランスが保てなくなってきて、心が「解放しろ!!」と言うサインとして起きたのかなと思っています。これも、抑圧されながら生きて来た状態がピークに達し、大人と子供の心と身体の狭間でバランスが取れなくなったのかなと思っています。
この頃は人生で一番身体が悪かったと思うのですが、まずは体温が半端なく低く低血圧で体重も結構痩せてました。他にもある日突然、身体中に湿疹が出来る蕁麻疹になって病院に行って注射したら貧血になって倒れたり、食生活も良くなくて食べたり食べなかったりしていたから栄養が偏って栄養失調ですと言われたり、性感染症で細菌が発症して婦人科にもかかってしまうこともありました。若い年にかかりやすい病気で深刻ではないのですが、家族は男ばかりなため、婦人科系の話をしようものなら理由も聞かずに「いらんことしたんか!」と疑われるから相談なんて到底できないまま自分で抱えてました。当時の高校時代から成人になるまでが人生で一番病気にかかったと思います。
家族はこれらを知ったのかどうかはわかりませんが、この症状が出たところで家族の反応が変わったようには思えません。毎日、精神的にも肉体的にもしんどくて耐え難い日々でした。
高校生活は、私にとってどんよりと曇りがかっていました。そんな激しい毎日ではありましたが、たまに殴られもしない、文句も言われない、何も起きない何もない日もあり、そん時は"無”でドローであると少しだけ平和な日もあって、楽しい時もありましたけど、家に帰ると嫌な思いをしてしまう。それでいて恋愛も上手く行かずにやけになってしまうと言う、完全負のループにハマっていました。
続く