人生物語11.高校卒業が危ぶまれて危機回避
高校を出たら私は就職をしたくて少しだけ会社説明会などに出向き就活をしていました。何故かと言うとファッションに全てを捧げた感じがあり満足してしまったので、専攻している服飾の職業にあまり興味を持たなくなったからでした。自己完結したのかな?
それでも、高校の上に姉妹校の専門学校があるので「自動的に専門学校に上がることも可能です」と先生が父に話してました。そんなことを聞いた父は、また学歴がつけれるなら専門学校も行ったら良いと言って、私の話は聞き入れてもらえず、半強制的に私はそのまま進学する事が決まりました。学費が相当高いの大変なのもわかっていたと思うのですが、それよりも学歴にとにかくこだわっていました。
しかし高校3年の3学期に入る前の冬の季節に単位の話になった時、「このままでは卒業出来ません」と先生に告げられました。それは、昼から行っていたり休んだりしていたので自ずと単位が足りなかったからでした。
条件は「3学期丸ごと1日も休まず遅刻もせずに来たら卒業出来ます!!」でした。
そこから家族会議で、私が学校にちゃんと行くにはどうしたら良いのかを話し合いましたが、家族は仕事で朝に誰もいないし、管理出来る人もいないので考えた結果知り合いの家に預けられることになりました。
環境的は決して良いとは言えませんが、知り合いの会社の社長さん?だったかその方の愛人?宅へ預けられました😅
ミナミのクラブでホステスをされていて当時の私から見た時は肝っ玉姉さん!(笑)少し怖い印象でしたが優しくとても素敵な方です。家は豪華なマンションとかではなくハイツみたいなこじんまりとした所でした。間取りも2DKくらい。犬好きのようでだいぶ年をとったワンちゃんとその子供?だったか2匹のワンちゃんと住んでおられました。
学校よりも南方面にある家でしたが、実家より遥かに近くてバスも乗らないから渋滞に巻き込まれることもないので到着時間に合わせて毎日同じ電車に乗れたら確実に遅刻もしないで通えました。
3学期の3ヶ月間だけなので、遊びも許されず持ち物も必要最低限のもので服装は学校の制服と私服はジャージのみ!刑務所暮らしみたいな感じですが、実家にいるよりは解放されるのでそれはそれで私にとっては良かったかなと思います。
預かり先が、愛人宅と言うこともあり夜遅く2人で帰って来ては、隣の部屋でイチャイチャの営みが始まったりしてて、声も丸聞こえ💦起きてしまった私はトイレにいきたくなりましたけど、二人の部屋を通らないといけない間取りだったのでめっちゃ我慢していました。営みが終わってからどのくらいか忘れましたがいびきの声が聞こえたのでそのタイミングを見てトイレに行きました。
こんなことで気を使わないといけないなんて、実家で過ごすよりはマシでしたがそれでも高校生にとっては酷な環境です。私は既に体験済みでウブな子ではなく冷めた子、あらゆる経験していたのもあってか、そこに動じることもなく過ごしてましたけど普通で言うとなかなか無い話ですよね(笑)
今回のミッションは、とにかく1日も休まず遅刻もしないで学校に行くことでしたから、それが果たせたら何でもOKでした🙆♀️高い学費を払ってくれた家族にも示しがつかないし、最後の約束を果たすためにも割り切って過ごせました。
今まで実家では家事をしながらの学業でしたのでやることが多くて暇な時間はほとんどなかったのですが、3ヵ月預けられて食事も用意してくれて学校のこと以外することもなかったから時間にゆとりが出来ました。その時にお姉さんから「できるんやったら着物のコート作ってくれへん?」と言われました。
私はこの時、洋裁検定中級まで取っていたので作り方と寸法があれば大体のものは作れるようになっていました。お姉さんから頼まれたデザインはベルベット生地の着物コートでした。お世話になっているし学校のことしかしなくて良い環境なんで作ろうと思って、一緒に難波にある生地屋さんに生地を買いに行って作りました。
ある程度の時間はかかりましたが、毎日ミシンに向かって作り何とか完成しました。既製品よりは少しダブりが出たりしていましたが、お姉さんは「上等」と褒めてくれました。
他愛なく過ごさせて頂いた3ヵ月!お陰様で風邪も引かず、遅刻もせず、休みもせず、ちゃんと学校に行くことが出来たので本当にありがたかったです。今思うとお姉さんは結婚もされていないので子供もいない、愛人とは言えいきなり高校生を預かってくれって言われてどんな気持ちだっただろう?ホステス業をされているから夜も遅いのに、朝起きて食事の用意もしてもらっていたのですごいことを引き受けてくれたんだなと思います。
それでも、私に何か不満を言ってくることもなかったのでやっぱり印象通りの肝っ玉姉さんでした。
そして、そろそろ卒業も近づいて来たころに、実家で事件が起きました。父が階段から落ちて肋骨の骨を2本折ったと先生からの伝言でした。
続く