人生物語2.不幸真っ只中の暗黒小学生時代
離婚となってから、どっちの親に付くのかなど決めないといけないことが沢山ありました。そんな時、学校では皆が楽しく幸せな話をしていて、当時担任の先生と交換日記をすることになりそのタイトルが「先生と生徒の幸せ交換日記」に決まりました。私は「何が幸せや!そんなどころちゃうのになんなんよ~」と泣きながら悔しい思いをしていました。しかしこの時、この交換日記に当時の心境をノートが真っ黒になるまで書き綴り、最初で最後ではあるけれど「私はこの世に生まれて来て良かったのだろうか」と【死】ついても考えた時期があったので、この交換日記は私にとって心の救いだったのかもしれない。先生はこの時の私に耳を傾けて親身になって聞いてくれました。
家では父が「お前らどっちに付くのか決めろよ~」と選択肢を委ねられました。兄弟で話し合って全員が父に付くと決意!母なしの父子家庭となりました。
私は、なぜ母に付かなかったのか、それは母が悪いことをしたからと当時は思い込んでいて、そのこと以外でもあまり良い思い出がなく、小さい子供がいるから仕方なく連れて行かないといけないからバーゲンに連れて行ったって感じだったり、5歳の時にお風呂に入りなさいと言う母、私はハサミで紙を切って遊びに夢中だった時、バスタオルで叩かれた。その時、腹が立ち持っていたハサミを振り下ろしたらそのまま左の親指に直撃してしまい、足の指を切ってしまって血まみれに!母がビックリして救急車を呼び人生初の救急車に乗ったのが5歳!切れた親指は数縫う大怪我となってしまいました。幼稚園の時は足にぐるぐる包帯が巻かれてるのが恥ずかしくて行くの嫌がってたそんな思い出ばかりでした。
また、先生に家庭の事情を相談していたのもあって、それが母の耳に入り、母は泣きながら「恥ずかしいからそんな事言わんといてよ」と言われた時、私はもの凄く母に怒りを覚え反発していました。それもこれも全てお母さんのせいだ!と思っていた私は母を許せず、それよりもいつも楽しいことをしてくれる父と離れるのが嫌だったと言う、子供らしい単純な動機で父についたのが理由でした。
そして新たな4人家族の生活が始まり、父が作業服で台所になっているのを見た時、「私が何とかしないと」と素直な心で父に「家のこと手伝おうか?」と差し伸べたのが運の尽き!普通なら子供は「勉強して遊んで、やること多いから良いよ!」なんて言ってくれると思いきや、「そっか!じゃあやってくれ」と全てを任される羽目になる。この時、私は10歳にして食事などあらゆることを差し出される側から差し出す側に突然なったのです。家族の協力はあったのかと言うと、古い考えの父は男子台所に入るべからずといった感じの風潮だったもので積極的な手伝いはなく、全ての家事である掃除、洗濯、炊事を小学5年生からすることになりました。
家のことなんて全くしたことがなかったのでどうすれば良いのかものすごく悩みながら、見様見真似でなんとかこなしました。食事では兄2人共、超食べ盛りの小学6年と中学2年だったので毎日お米は一升炊き、料理も大鍋で8人から10人分くらい調理していました。包丁で何度も指を切ったり、火傷したり、もう毎日が戦争のようでした💦
それだけでも大変な環境でしたが、それで済まされず、父はお酒が好きでいつもストレスなども抱えていて精神的にも良い状況ではなかったので、イライラの矛先は私に…。徐々に暴力を振るうようになって来たのです。理由は家事が出来ていないから。私としてはそんな子供に完璧求められても無理やしと心で思いながら、炊事、掃除、洗濯など家事全般が出来ていないと手が出て殴られる日々。理不尽極まりない状況ですがそんなことは、我が家では通用しない。暴力だけならまだしも、言葉の暴力で精神的にもやられました。それは、「お前は産んだ母親の所に行け!似てきやがって!いらんわ」でした。これは子供にはキツい言葉。それでも生きていかないといけないし母の所には行きたくないので我慢しながらとにかく頑張る子供でした。けど、この時私は出来ない子だとか悪い子なんだどと思い込んでいました。
それからも、家事をとにかく頑張るけどそれでも何か一つ出来ていないと殴られ、目には内出血、服を引っ張り回されたりしたのでその跡が皮膚に残ったり、鼻を思い切り殴られて鼻血が出てても壁にバンバンぶつけられ、その時父は気が動転しているのか興奮して止まることなく殴られ続け、かなりヤバい状況になったその時、流石に兄が止めてくれました。そんな日々を送り続けるのです。
ふとした時、何もない日がありました。それは家のことがある程度出来ている時でした。それでも褒められたりすることは全くなくそれが当たり前であるかのようでしたが、何も言われず何も起きない日がこんなにも平和なのかと感じたのを覚えています。
外を歩いていると、ふと両親家族そろって仲良く過ごしているのを見て羨ましいな〜と思ったこともありました。
そんな環境の中、唯一の心の平安は土日に活動していたガールスカウト!ここは私にとって解放される場所でありひと時でした。
暗黒の小学生時代!まだまだ先の長い過酷な未来はこの後もやって来ます。
続く