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人生物語16.20歳で起きたとてつもない悲しい出来事

20歳の成人を迎えようやく大人の仲間入り。成人式では豪華な振袖を母に買ってもらっていたので晴れ姿で成人式を迎えられました。それでもこれでまでに、次から次へと苦難が訪れては何とか無理やりにでも乗り越えて心も体も疲弊している状態になっていました。そして更に追い打ちをける悲しい出来事が起きたのです。

この年になって父と初めての出来事が多くありました。まずは、初めて殴り返すと言う反抗!これまでは怖くて太刀打ちできなかったのですけど、仕事もしないでお酒ばかり飲んでる父には若いのに体力がなくなっていて、私は爪が固く殴られ慣れのお陰なのか自分を守るための体力と握力が身についていました。

いつものように父がまた罵倒するので思いっきりキレてしまい「うるさいわ~💢」と言って、足や腕を殴り爪を立てていたら皮膚にめり込んでしまったようで、父の腕と足が傷だらけになってしまったみたいです。一人でかかりつけの病院に行って泣きついていたそう(笑)そんな取っ組み合いをしたのも初めてのことでした。

包帯

他も、たまたま選挙があり、初めての投票に父と一緒に行ったこと、これが20歳になって4ヶ月間で初めて共同できたことでした。

そんなことが出来てから間もなく、父とお別れすることになるのです😢

私が18歳の時から、父は肋骨骨折で入院生活となりその後も仕事をしなくなったことでほとんど食べずに、大好きな日本酒を飲むのが日課。そんな生活をしているもので内臓も悪くなり、肝臓から、糖尿も出てこの2つの疾患が併発すると2年も持たないと言われていたのですが、今みたいに健康に関する情報もなく、どちらかと言うと酷使するような風潮だったので、身体を治すとか良くするとかはなかったようです。それに父は「このまま野垂れ死んだらええんや~」と祖母に話していたくらいでしから。

それで、そのまま7回の入院退院を繰り返しこれも保険金が入ると言うこともあって、結構気楽に入院していましたがそろそろ病症の保険項目がなくなり、お金も降りなくなる頃でした。

私はと言うと、歌手の詐欺被害にあってしまってから、当時のキャバクラ店には「歌手になりますのでお店辞めます!!」と言って既に辞めてしまっていたので他のお店を探すことになって、市内から少し離れた京橋の大手キャバクラで働いていました。こちらも目的はお金を貯めて家を出ることです。

ある日、凄く騒がしい日がありました。うちの家族がしそうな怒鳴り合いや殴り合いがあったり、パトカーも来てサイレン鳴りまくりで、「今日は何の日?珍しく騒がしい日やあ~」と思っていました。

そんな働き詰めも2か月くらい経っていて翌日は仕事を休み人と会う約束をしていたのですが、その案件が全てキャンセルになってしまって2ヶ月振りにスケジュールが全くなくなりました。

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家についたら、愛犬のエンジェルちゃんがずっと鳴いていてソワソワしながらどうも様子がおかしい。兄(次男)は寝ていたのですがその時に「親父、また入院したから俺行かれへんし、明日荷物持って行けるか?」と言われ、7回も入院しているので日課のようですから驚くこともなく、また丁度スケジュールが空きになったので「用事何もなくなったし行っとくわ」と返事しました。

翌日、まずは欲しい物がないか病院に電話して聞こうと思って繋いでもらったら、「も゛じも゛じ~」とおじいちゃんみたいな小さな声なので、「あの~朝日ですけど~」と言うと「わ゛じや゛~(わしや)」と言っているので間違いなく父でした。なんか様子がおかしいと思いながら、聞いた物を持って行きました。

6人部屋の病室に入った瞬間!右側の真ん中に父はいたのですがどこからかわからない声で「死ぬよ!」と後ろでつぶやかれた気がして、これが後に身に付く力となったのでが、動揺することなく慌てることなく冷静に対処していました。

その時の父の姿を見た時、力強く大きく見えていたはずなのに物凄く小さくて80歳くらいのおじいちゃんのように見えました。「大丈夫?」と声をかけると「お~わしな危篤やねん!」と言う。危篤な人が自分では言わんやろうと「お~そうなんや~わかった先生に聞くわな」と言って、ボケ老人にでもなったのかと疑ってしまいました。

そこから即、兄(長男)に連絡をしたらナント車検で家に帰っていて、次男も仕事は早く終わったからと兄の家に一緒にいそうです。ありえない時間帯に兄弟が揃うなんてここ数年なかったと思うのですが、これが【虫の知らせ】と言うものなのか、そう思わざる得ない状況でした。そして「お父さんちょっとヤバそうやで、自分で危篤や言うてるし今から先生に症状聞こうと思うから今すぐ病院着て!」とお願いしました。

間もなくして兄家族と次男が病院に来ました。3人で先生に病症を聞いた所、主治医の先生から「お父さんが言っている(危篤)のは間違いありません、今日明日が山です。かなり危険な状態ですので今のうちにご家族ご親戚を呼んで下さい」でした。

その日は、次男の誕生日でもあって病室で今後どうするかを皆で話し合いました。

次男「親父!俺今日誕生日やで」

長男「俺、親父家に預かるからちゃんと治そうぜ」

私「私、家出たいねんけど」

長男「お前、今言うことちゃうやろ!」

こんなやり取りをしていました。私はこの時なぜ家を出たいと言ったかと言うと、父に誰にも頼らずに家を出たい意志をどうしても、伝えたかったからでした。

そして兄たちに親戚への連絡をお願いして、私と兄家族とで残り父を見守つていました。

その時、急に咳き込んだ父。私の顔をジーと見てから苦しそうに顎が上がったと思ったらそのまま完全に力が抜けるのを見ました。それを見た私は魂が抜けたんだろうなと感じました。そこから心肺停止で心肺蘇生が始まる。急いで兄たちを呼び皆でお父さんに声をかけながら蘇生も1時間になった頃、もう無理だとなって、家族全員集まってから2時間後に亡くなってしまいました。

死に目に会えなかったのは祖母でした。これも何か意味があるのか、我が子が先に逝かれてしまうのはとてつもなく心苦しく悲しいことだと思いますが、そんな祖母からも私に仕打ちが来るのでした。

続く

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