人生物語19.人生が生まれ変わるほど大好転する出会い
心のトラウマは全く取れていないままの状況で、心と身体のバランスも取れず、行動もままならないでいました。特に人からはよく「怒ってる?」と言われるくらい顔が怖かったです。約束をしてもすっぽかしたり、人に迷惑をかけるようなことをしたりと自分が嫌になることばかりしてしまってました。
これも無意識にしているのですが居ても立っても居られない毎日を過ごしていました。そして夜の仕事をしながら、営業販売のお仕事に携わることとなりますが、その時に出会った上司が後に彼氏となります。当時は結婚していて私に奥さんのことを文句や愚痴ばかり言うものなので「そんなにも嫌なら離婚したら?」って言いました。
そしたら本当に離婚されたのです。ビックリしましたがそこからは仕事の上司から恋人へとなり、この時も精神的不安定でしたのでこのままでは自分を立て直すことは出来ない、誰からの手を借りてでもやらないとどうしようもないと思っていた矢先に、彼から自己啓発セミナーを紹介されました。
当時、自己啓発は洗脳するようの所があって社会問題になり摘発されている会社も少なくありませんでした。私はその中でも唯一純粋に活動されている会社と出会い、そこで人生が一変!大好転となるのでした。
私は、自分の心の状態が良くなればそれで良かったので、カウンセリングであっても自己啓発であっても何でも良かったんです。そんな22歳の私と出会わせてくれたのが日本創造教育研究所(日創研)でした。
創業者はお寿司屋さんを経営する音羽寿司の社長が自身の体験を元に海外まで行かれて、心理学を徹底的に学び、独自のセミナープログラムを創られて何十万人の受講生を持つようになりました。
時代的に流行っていたのもあって最初に受けた時の人数ご144人、ほとんどの方が会社教育の一環で送り込まれた方でした。その中でも自力で参加している人は2割ほど、私もその中に入っていました。
とにかくすがる思いで参加しました。研修は朝から晩までビッチリ3日間、これまで心が傷つき相当疲弊していたのでこれが癒えるまで毎日泣いてました。3日後にどうなるかと言うと、一般的には「目から鱗だ」とか「景色が変わって見える」だとかなんですが、私は一風変わった感想で「呼吸が出来る!!」でした。
これまで、虐待を受けて育ったことで身体を膠着させないと、いつ手が飛んでくるかわからないからファインディングポーズでずっといたことや、息をすると身体が緩むのでその時にまた殴りかかられたらめっちゃくちゃ痛いから無意識に呼吸まで浅くしていたことに気付きました。
肺が痛くなるまで息を吸って、思いっきり吐くことが出来たとき、今まででは想像もつかないくらいに身体が軽くなっていました。
それが私の人生の大好転する出会いでした。「努力しても報われない」「良いことがあったら悪いことがある」と言う固定観念も全てを取っ払うことが出来て、この時に体験したことは「必ず努力は報われる」「悪いことがあったら必ず良いことがある」に受け取り方が変わってました。
そこからの毎日は、心軽やかにスキップしたくなるくらいの状態になり、なんでもチャレンジしたいとワクワク楽しみになっていました。
そこで、彼の営業の仕事もうまく行かなかったので、潔く辞めて北新地のクラブでヘルプとして働くことになりました。
と言うのも、少しだけ新地でアルバイトした時のお給料を取りに新地へ行くと、黒服の男性陣が立っていのです。ほとんどの場合客引きのためなのですが、ある社長が私に声を掛けてきました。
「君!うちで働かんか?」
「いえ!私はお酒飲めないので結構です」
そうです。私夜の仕事をしてたのですがお酒が飲めない体質なんです(笑)よくやってたねって言われますけど、そんな人もまぁまぁいたように思います。
「かまへんよ!わしも飲まれへんし、飲めなくても座ってるだけで良いから」
次から次へと甘いセリフがいっぱい出て来る。私は惑わされるな〜と思いながら一先ずこの時はまた考えておきますと言ってその場を去りました。
しばらくしてまた新地へ行く機会があり、「もし今日あの社長に会ってお店で働かないかと声をかけららたらご縁なので行ってみようかな」そんな気持ちで行きました。すると案の定社長が立ってました。(会ってしまった)と思いましたが、これも何かのご縁だと思い、条件などを聞いて一致したから働かせて頂きました。
当時、若いだけが取り柄と言うくらいな子でしたので口が達者でもなく普通の女の子でしたが社長にはどんなふうに写っていたのだろう。
こうして、私は北新地のクラブでホステスとして働くことになりました。自己啓発のセミナーを受けてから数ヶ月、心のトラウマは癒されていましたが、在り方としてのパターンはまだ残ったままなので、仕事でも結構ちゃんと出来なかったりと少々問題ありでした。
それは、遅刻癖!昔からありますがこればかりはなかなか直りませんでした。遅刻だけでも年間の罰金が100万円を超えていたくらいの常習犯😓しばらくして遅刻も多少治りつつも働いていました。
そして、当時の彼氏から結婚の話がでたのですが、どうも気が乗れませんでした。何故かと言うと今風で言ったらディスり系だからでした。私の悪い所を見つけては罵倒するみたいな感じで、一緒にいて楽しいはずがありません。そして、逆に私の良い所はないのかと聞くと、「ないな〜」でした。
じゃあ、そんな人となんで結婚したいと思ったのか意味不明でした。だからこの時私は「この人といても幸せにはなれない」そう思ったのでお別れしました。
恨みつらみの状態になったようですが、私はそれで良かったと思っています。彼には人生が変わるきっかけをもらったのでそこは今となってはとても感謝しています。
その後もまた新たに日創研での勉強をする事となり、24歳からやりたい夢が見つかりました。
続く