人生物語6.とんでもない場所で過ごすことに
思春期も後半になり、大人びたことが好きだった私は、ファッションや美容にもこだわって、もう既にこの年してメイクもしていました。見た目は年相応ではなく20代超えてるくらいに見られていました。以前の記事にも書きましたが、梅田で歩いていた時に社会人と思って声をかけて来たけど私は14歳!そのくらい大人びていました。
そして、近所の友達ともよく遊ぶようになったのですが、少し家を出て近所の子の家に行って帰るとなぜか鍵が閉まっているんです😲なんでなのかもさっぱりわからず、「開けて~」と言っても「出ていけや~」とだけ言われるのみ。意味が分からず交渉するも何の反応もなくなってしまいます。その時の時間は23時近くで、「出て行け」と言われても手ぶらで財布も何も持っていないのにそれを知ってかどうかわりませんが、どこにも行けないのだからどうしようもありません。時間も深夜近い時間に友達の家へ尋ねにもいけないしにっちもさっちもいかない状況でした。
結局外で一夜を明かすしかいのですが、年頃の女の子が玄関の前で座っていたらビックリしますよね?夜中にどうしようかじっくりと考えました。当時は、世間的にも虐待など頻繁にあると言う認識はなくDVなんて言葉もありませんでした。言わば「しつけ」で締めくくられる世界。悪いことをしたら頭ごなしにしてでも親の言うことに従わす。だから今の時代に中学生が玄関でポツンといたら警察沙汰ですし、何があるかわからないので流石にそうはさせてなかっただろうと思います。平和な時代だったからこそできた行為なのかもしれませんが、それでも”普通”ではないと思います。
考えた末に、良い案が思いついた!
私の家では、犬を飼育していてその犬も2匹目、最初は知り合いからもらった柴犬でそれはもう可愛くて可愛くて父はよく溺愛していました。その時、飼育に知識がなく予防接種を受けていなかったので3年後に蚊に刺されたことによるフィラニアにかかってしまい、それが肺に虫が這いつくばっているのでもう手遅れかと思うと告げられましたが、手術で取り出せれば何とか助かるかもしれないと言われ、父は最善を尽くして欲しいとの要望で手術を決断、そして手術中に息絶えて死んでしまいました。
その後も犬のことは少し忘れて過ごしていましたが、トラック運転手の父が道端でまた同じような柴犬を見つけてある日突然、連れて帰って来ました。そのまま買うことになるのですが野良犬だったので人への警戒心がひどくて結構手のかかる犬でした。名前は雌だったので「メリーちゃん」その後、愛情が伝わったのか後に落ち着いて来ました。愛犬は外で飼育していて木材を買ってまぁまぁ大きな犬小屋を父と兄達で作っていました。一畳分の立派な木の小屋です。
そこで思いついたのが、「そうだ今日はここでメリーちゃんと一緒に寝よう」
人生で初めて犬小屋で寝ることにしました。小屋の入り口も開けていると見えるのでブルーシートがあったからそこで隠してそおっと小屋の中へ、メリーちゃんはと言うともの凄く不服そうな表情をしていました。犬なのに・・・(笑)それでもごめんねと謝りながら少し肩身の狭い思いで寝ました。それも年頃だったので新聞配達の人に目があっても嫌だし、恥ずかしい思いをしたくない一心で夜中考えながらの居場所確保をしました。
朝になってから鍵を開けてもらいまいしが、頭を人殴りされてから家に入ることが出来ました。もうなぜそうするのか意味がわからないけど、私は相当悪い子なのかと思わざる得ないけど、そんなことはないと思う狭間でいつも葛藤していました。
その日は、寝不足のまま学校に行って相当疲れていた感じでした。
また、何日か経って意味が分からず家を追い出されることが頻繁に増えました。「出て行けや~」と怒鳴り声が響き渡るのでその時通りすがりの方から、「子供にそんなことをしたらダメでしょう」ととても勇気ある人がいましたが、気性の荒い気質の父には通用することなく、「なんやねん!関係ないやろほっとけや~」と怒鳴り散らすので流石にそれ以上言えない状態でした。それに私も冷静に「もう大丈夫なんで関わらないが良いですからほっといて下さい」と言っていました。
自律できる年齢でない子に出て行けと言うのはまた違った虐待だと思いますが、どこにもいけないから犬小屋に寝るのももう嫌なので、友達の家に尋ねて行っては優しいおばちゃんに助けてもらって温かい布団に寝させてもらったのが本当に感動ものでした。何事もなかったかのように朝遅くまでずっと眠らせてくれて起きたらご飯も用意してくれていて感謝しきれないくらいにお世話になりましたがその時、親にも話していないのでちゃんとしたお礼も言えないままでした。
いつも殴りかかれることが日常なので、人の手が頭の上にあるだけで体を抱え込み構えてしまう状態でした。友達の家に行ってもそんなことがあったように思います。それでもお母さんから愛情いっぱい注がれる家庭ではケーキを作ってもらったりしてそれはそれは幸せそう!私は、そんな体験がなかったので他の家を比較すると私の家庭では愛情がなく、酷い家庭だとより感じてしまっていました。
その後、家を追い出されるのは相変わらずエスカレートしていきましたが、私も成長していくのでそれはそれで厄介になっていくのでした。
続く