2017.06.19
私がオリックスファンになったのは、2016年の出来事だった。入口はバファローズポンタだ。昔からゆるキャラやマスコットが好きで、(それが理由では流石に無いが)ローソンでバイトをしていたこともあり、Pontaは好きなマスコットだった。着ぐるみにも会って写真を撮ったこともあるくらいには好きだった。
そんなPontaが始める新事業だ。応援しない訳は無い。勝ち負けは別にして可愛いPontaを毎日のように見られるのが楽しかった。私はPontaのファンでオリックスの選手なんて全然知らなかった。昔は少し野球を見ていたが、谷繁監督くらいから野球離れしたため(落合政権の中日ファンだったから)オリックスの印象はイチローと中村紀洋のイメージしかなかった。
バファローズポンタをきっかけにオリックスの勝ちを願うようになったものの、オリックスのことを全く知らない。(だからこの年が“完全最下位”という事実に気付いたのも翌年だったレベル)流石にそれは良くないと思い、私はオリックス・バファローズについて勉強をした。
そこでとりあえず本屋に行って見つけた本が当時オリックスに所属していた伊藤光の著書だった。私が行った本屋にその日あったオリックス関係の本はこの1冊だけだったのだ。とりあえず「オリックスの人だ!」と思って買った。これが運命の出会いだった。この時にあった本が別な本だったら恐らく私は伊藤光のファンではなかったかもしれない。私が伊藤光を好きな理由はただただ「野球再燃の入口だったから」なのだ。
彼の“ポジティブな自分”と“ネガティブな自分”が共存して、それをコントロールするかのような生き様・考え方に共感を覚えた。似ている部分があると思ったのだ。そこに惹かれて気にかけて見るようになり、当時彼とバッテリーをよく組んでいた金子千尋についても、同じように著書を買って勉強した。(本屋では売ってなかったから通販で買った)
最初の入口が伊藤光で次いで金子千尋と辿ったものだから、私にとって野球はバッティングやパワー、守備などではなく「バッテリーの思考を楽しむもの」になってしまった。数あるものからそこにハマったというよりは勉強の選択肢にそれしかなかったと言う方が近い。
これが大体2016年のオフから2017年の上半期くらいの話である。当時の私の一番の趣味は他にあったために野球にハマっていくペースはかなり遅かった。ちなみに2016年のオリックスのドラフトは鮮明に覚えているので、チームについて分かるようになってきたのはこの辺りだ。
現地に行くようになったのは2017年からだ。埼玉に住んでいた私は頻繁にオリックス戦は見られなかった。折角なら気になる選手を生で見たいものの、特に2017年前半、伊藤光が試合に出る日はほぼ金子千尋の先発の試合に限られていたので、オリックス戦を観に行ったところで試合に出る姿を観られる確率はかなり低かった。
そんな私に突然伊藤光を関東で見られる機会が舞い降りてきた。2017年の交流戦のラストカード、横浜DeNAベイスターズ戦の振替試合の先発が金子千尋だと発表されたのだ。まさか初めてこのバッテリーを見るのがパリーグ球場じゃないとは思いもしなかったが…。私はとりあえず三塁側のチケットを取った。これが横浜スタジアム初観戦の日である。
正直、昔野球が好きだった頃からベイスターズの選手は全く印象になく、「自分の大学から確かベイスターズに2年くらい連続で行ったよな…」くらいの認識だった。筒香や山﨑すら知らなかった。当時私の中では筒香や山﨑より山下や柴田の方が有名人だったくらいである。
もうこの試合から4年が経つ。4年も前の試合だからほぼ試合展開は忘れたが、ベイスターズは飯塚がプロ初先発で金子と新潟対決だったこと、小谷野のファールボールが2席隣を直撃したこと、シウマイカレーが美味しかったこと、そして伊藤光が二塁打を打って二塁ベース上でガッツポーズをしてその後本塁で走塁死したことは覚えている。試合は確かオリックスが逆転勝ちだった。(写真のグッズはその日に横浜スタジアムで買ったものである)
初めて気になる選手を、やっと生で見れただけで嬉しいのに(その前に何試合かオリックス戦を観に行ったが全て先発捕手は若月だった)、タイムリーまで打ってくれたのは、ただのタイムリーだったのに半泣きになるくらい嬉しかった。このときやっと私の中で伊藤光が気になる選手から「好きな選手」になった。
私にとって横浜スタジアムは初めて伊藤光を生で見て、勝ちと活躍に喜べた思い出のスタジアムなのだ。2017年6月19日。ただの振替試合のなんてない1日が私には大切な1日になった。ただ当時の私は勿論、翌年横浜スタジアムでオリックスではないユニフォームを着ている伊藤光を見ることになるのはまだ知らない。
今、私が伊藤光のファンなのはこう言った経緯がある。オリックスファンからベイスターズファンになった理由もお察しの通りである。2017年くらいからバファローズポンタ関係なく野球にハマった故に今もバファローズポンタの投稿は見るが正直前ほどの愛情は無い。
おかげで伊藤光をきっかけにベイスターズのいろんな選手を好きになったり興味を持ったりしたがその詳しいことは割愛させていただく。単純に長くなるからだ。長くなるくらいには好きな要素が沢山あるのだ。
あれから数年後、2021年。伊藤光が移籍してきて初めて横浜スタジアムでのオリックス・バファローズ戦。かつて伊藤光の仲間だった選手達が打席に、伊藤光本人は別なホームユニフォームを着て扇の要に座る姿に時の流れを感じさせられた。
けれど、伊藤光はもうとっくに「横浜DeNAベイスターズの伊藤光」だった。横浜スタジアムにいた沢山の29番のユニフォームを着たファンと、オリックス時代に滅多に座ることのなかった二番という打順がそれを物語っていた。伊藤光は首脳陣からもファンからも「必要」とされていた。それは金子千尋の先発時しか先発捕手を任されなかったあの頃と今の大きな違いでもあった。
対オリックス戦の初戦は二番・伊藤光の活躍もあってか、白星を獲得した。試合後、ベンチの前で選手達がファンに向かって礼をするシーンがあるのだが、ほとんどの選手が自分達の立っている一塁側に礼をしたり手を振ったりするのだが、伊藤光だけはずっと三塁側に手を振り、お礼をして、三塁ベンチを気にしていた。今や「横浜DeNAベイスターズの伊藤光」にはなったものの、彼の原点はやはりオリックス・バファローズで、彼がオリックスやオリックスファンと歩んできた道が確かにあったことをその行動が証明するかのようだった。オリックスファンだった私はとても嬉しかったし感動した。これを生で見られたことは、正直勝ち試合を見るより私には意味があって、刺さるものだった。私の中でまた大切な試合が増えた。
この試合、私はあの頃と逆側の一塁側の席で、あの頃とは逆側のチームを応援した。変わらなかったのは、伊藤光を応援していたことと彼がいるチームが勝ったことである。あの頃同様、彼は私に大切な試合と勝ちを見せてくれた。そして帰り道に抱いた感情もあの頃と同じだった。
「伊藤光を好きになって良かった」
この気持ちは来年、再来年、その先も変わることなく持ち続けられていたらいいなと思う。