娯楽の存在意義
私は現在大学で芸術学を学び、音楽や絵画、映画、演劇など様々なジャンルの"芸術"と呼ばれるものに日々触れている。これまでは趣味の一部だった娯楽に対して"楽しむ"の領域を超え学びの姿勢を向けるようになり、"存在意義"について考える機会が格段と増えた。
その中で改めて読んだ彼の3年前のこの言葉にはやるせない感情を抱かざるを得なかった。
2020年新型コロナウイルスの大規模な感染拡大により様々な規制がされた。当時高校2年生だった私は修学旅行や体育祭などの学校行事が次々と奪われた。しかし勉強三昧だった学校生活を歩んでいた私にとっては正直「まあそうだよね。」程度の事だった。
だがそんな私にも思い出すのも苦しいほどショックな出来事が立て続けに起こり始める。
ライブの延期・中止
中学時代、高校生なったら今よりも自由になる 遠征しまくるぞ! なんて考えていた。その夢は2年目にして砕け散った。何よりもこれが辛かった。辛くてたまらなかった。
ずっと会いたかったアイドルが地元に来てくれると大好きな友達と連番でとったチケット。2回の延期を発表するも最終的に中止に。返金のためにコンビニへ向かう。期待と夢が詰まったチケットが何の意味も為さないただの紙切れになるあの瞬間、絶望感 焦燥感 喪失感 心の中全てが負の感情で埋め尽くされた。
言うまでもないがもちろん命は大事だ。
でも命同然に音楽やアイドル、ライブといったエンタメを大事に思っている私にとって
私が大好きなものって社会からしたら不要なものだったの?
そう感じざるを得ない状況だった。
しかしその中でも歩みを止めないエンタメ業界。
お客さんは入れなくても無観客ならとオンラインライブを開催する。
あれがせめてもの救いで、遠くにいる人と簡単に繋がれるこの時代に生きてて良かったと思った。
オンラインライブでしかできない演出
全員が私1人を見てくれているのかと錯覚する
これも悪くないな、、、、
そう思えた。
それでもやはり生を知っているからこそ物足りなさは感じてしまう。
全員がカメラを意識するため、音楽番組を見ているかのような感覚に陥る。MC中喋っていないメンバーが何やら別の話題でこそこそ盛り上がっている姿も当然目の前にいるファンへレスを送る姿も見えない。
当時我々ファンも演者もお互いがやるせない気持ちを抱えていたはずであるが、ステージに立つ彼らの複雑な感情は私には計り知れないほどのものであっただろう。
それでも彼らがかけてくれる"いつか必ず会えるから"という言葉は、先が見えない真っ暗な未来を明るく照らす誘導灯だった。
現在ではみるみる規制が緩和され声出しが可能なったり、演者とファンとの距離もだいぶ狭まってきた。確実にコロナ禍以前の状態へ戻ってきている。大変喜ばしいことだ。
ここまであっという間だった!とは決して言えないが、あの日の"いつか"を信じ続けてきて良かったと切に思う。
命より大切なものはない。コロナ禍で明日は我が身を体験したからこそそれを痛いほど感じた。しかしそれと同時に 人生に彩りを与えてくれるものは娯楽であることを痛いほど思い知らされた。
以前、大学の講義で紹介されたこの言葉は今でも私の胸に深く突き刺さっている。
この言葉を胸に、私は今日も大好きな娯楽と共存し向き合う。
1年くらいiPhoneの下書きに眠っていたものを放出しました。
意外と真面目なことも考えてるんですね()
最後まで読んでくださりありがとうございました。
サムネ画像 : https://www.instagram.com/p/Cy2eRvoPfiV/?igsh=bnJjcnByMzVwaWVz