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正解と不正解

お久しぶりすぎる更新になった。それだけ、日常生活が充実している最近です。

最近、講義を聞いてハッとしたことがある。
自分は甲乙を判断することから逃げているということだ。


自分が通う大学が多様性を重視するし、されるからこそ、個人の正しさよりも、全員の意見を尊重することが、文化として根付いている。
だからこそ、正しさを論理的に主張するという機会を作らず、どちらかというと、《みんなとは違う意見をどう取り入れていくか》に焦点を置いて来た。


これは自分はもちろん、自分の周りにいる友達もが同じ姿勢だ。
それでも、今までなんとなく『正しい』方向を向いてこれたのは、学生が『正しい』に対してほぼ同じ価値観を持って議論をしてこれたからだろう。

だから、論理的に正しさを主張することをしてこなかった。自分の意見は添えつつも、
どうにか相手の意見を守れるように、どうしたら『全員の答えを正解に持っていけるか』と考えて来た。この考えは生きる上で大切。だし、私はこの姿勢が大好きだ。

過去の失敗を失敗と考えず、成功への道だと考えるクセ、失敗を成功にしていこうとする心持ちもこの一部なのか、、?
ポジティブ思考は、現実に目を向けないこととほぼ同義なのかも

私の脳内より



だけど正しさを主張することで自分の身を守ることができる。他の人も守ることができるかもしれない。

あなたは間違っている、と叩かれることもあるだろう。でも、それを間違いだと初めて気づけるのは、主張をしてくれたおかげでもある。私たちには言論の自由があるからこそ、なにかを獲得するには、なにかを犠牲にする必要がある。
だから、私は間違ってても意見をはっきり言える人が凄いと思う。

この世は人が意見を主張するからこそ成り立っている。意見の多様性、言論の自由が保障されているからこそ、私たちはいろんな考えに触れられる。最も自分にとって納得いく『正解』に繋がる。人々の『正解』に繋がっていく。


ある人に、
きっと(私)は優しいから、悪いことを人の面と向かって言えないんじゃないかと
(このようなことを)
言われたことがある。
自分が言う言葉で相手がなるべく嫌な気分にならないように、常に考えている、そう思えばその説明も合っている。
だけど、そうじゃない。その考え方が身についていないし、その考えに自信がないんだ。

相手を説得させられるように、自分に自信を持てるように、自分や周りの人を守るために、
正しさを判断することを諦めないようにしたい。


友達とドライブで見に行った夜景
ここはディズニーらしい。


最近、『(私)の笑顔を見ると元気が出るんだよね』って言ってくれる人がいて、
自分のモチベーションってこんなところから来るんだなと沁みた。

自分はとことん人が大好きで、周りの人によって生かせてもらっているようだ。
いつもみんなありがとーーーう

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