姫路文学館 招聘公演『辺境ーどこまで行っても』感想メモ
3月14日、所用で関西に行き、姫路まで足を運び、姫路文学館で招聘公演『辺境―どこまで言っても』を観劇、その感想メモを。
作品は2017年に東京での上演を観ていて、その舞台への心の惹かれ方がしっかりと記憶に残っている。その時にはロールとしての女優達それぞれから訪れる演じることへのロジックにぐいぐいを心奪われたのだけれど、一方で前提にある彼女たちが舞台で語ろうとしている岸上大作という若くして自ら命を絶った歌人のその死に臨んで書かれたものがどこか断片となってまとまらず、どこか演じられるものの背景をしっかりと捉えきれなかった部分もあって。舞台の歯車がまわり物語の軸が動くたびにミッシングピースのような感覚を醸し、受け取りえなかったなにかとなり、それが彼の存在の質感に転じて心の中に残った。実際のところ、2017年5月の自らのツイッターで私はこの作品の初見時の感想をこんな風に呟いている。
① 9日ソワレにアトリエTANTOOでMinami Produce『辺境、どこまで行っても』。最初は舞台の枠組と役者たちによって語られる言葉を追いかけていたが、次第に学生歌人の絶筆を朗読する態の役者たちから垣間見える舞台の表裏の編み方に捉われる。やがて作意に気づいて更に取り込まれる。
② Minami Produce『辺境、どこまで行っても』続、舞台上で紡がれるはずのものと、裏側で役者達が担い解けていくもののボーダーには企みに満ちた曖昧さがあって、互いの色を曖昧にし、表層に置かれた「死」へ歩む質感を言葉で組まれた道程からその絶筆から滲み出す心情の感触へと染めかえる
③ Minami Produce『辺境、どこまで行っても』更、役者達が裏側に紡ぐ所作や台詞は、物語への客観的な視点や、揺らぐ表層の決断や、内心の記憶や逡巡、ラフでシニカルな想いや、その心情の底辺を満たすものとの境を失い、主人公の渾然となる。その「死」の訪れのルーズな立体感に息を呑んだ
④ Minami Produce『辺境、どこまで行っても』余談、この舞台、一期一会感が強く、たとえば初日あたりに一度観ておきたかったなぁと感じた。もちろん先に立つ後悔はないのだが・・。一人ずつの役者の印象が強く残ってもいて、個性がそれぞれに映える舞台だったとも思う。
当時の拙い表現を改めて晒すのは心苦しくもあるのだけれど、記憶とこのツイートたちを重ね合わせると、舞台に描かれる「俳優」達の葛藤に心を奪われつつ、でも、その中で渡された歌人の死という背景から訪れた渾然を俳優達が紡ぐことのありようを踏み台にして、無知なことに名前しか知らなかった私に映る岸上の存在のリアリティとなっていたようにも思う。
今回、開演前にわりとたっぷりに時間を使って会場の階下で開催中の「歌人岸上大作展」を見た。展示はとても丁寧に構成されていて、順を追っての説明に彼の生い立ちを知り、写真達に若き彼の風貌を渡され、日記や手紙に綴られた言葉から彼の時間のかけらや抱かれた思いの生々しさを垣間見て、掲示された彼の短歌の研がれ方やそこから切り出されるものに囚われる。なにより、舞台の基となる彼の絶筆「ぼくのためのノート」の肉筆と向かい合って、全てを読むことこそしなかったけれど、断片的ではあったけれど、原稿用紙に埋められた彼の癖のある文字達から染みだす生身のその時間の、逃れることのできなさや、定まらなさや、揺らぎや、想いの行き場のなさや、重さと軽質さの共存に引きこまれ、立ちすくみ、やりきれなくもなり、でも、そこから私が繋がれる先が、交わらなさや当惑であっても共感ではないことにも気づく。
そうして時間が来て、会場に入る。舞台本番。広く高い舞台空間、俳優達が颯爽と現れる。冒頭のせりふからしなやかに密度が生まれる。もちろん稽古の中で彼の作品に触れ続けたであろう俳優達とは理解の深さが違うだろうけれど、少なくとも初見の時のような舞台に描かれる岸上大作が充分に解かれないことで感じた曇りはなく、だからこそ気がつけば、冴えた感覚と共に俳優達の織り上げるしなやかな緩急にとりこまれ、醸される苛立ちに驚き、背を向ける姿に目を奪われ、そこから次第に解ける感情の理に前のめりになり、それでも解けきることなく投げ出されることなく歩み出す「稽古の時間」の風景の先を固唾を呑んで見つめ続ける。それは初見の時のように霧で描くのではなくその霧が晴れて現れた景色。私のように展示によって岸上大作に向きあったものにとっても、きっと昔から彼の作品を愛でるものにとっても、彼の存在のありようを改めて呼び起こし、際立たせ、演劇を編むことへの共振へと引きこむ時間だった。空間に呼吸を与え観る側を自然に委ねさせる手練れをもった俳優たちがなす、刹那を重ねる精緻さと勢いと滲まない熱に満たされた演劇の先には、私にとって初見の時から見違えるほどに昇華した、言葉では表現し得ないであろう60年安保の時代を生きたひとりの歌人への、追っても捉えきれず、抗えず、受け入れきれず、手放すことのできない感慨が残った。
この舞台は「姫路文学館歌人岸上大作展」に合わせた招聘公演として上演された。観終わって、前説なども反芻しながら、公演には単純に「一人の歌人をテーマとした企画」くくりという以上のしたたかな企みが隠しこまれていたように感じた。展示をなすことと演劇を編むこと、単に並列に為されるのではない、異なる表現に噛み合わせを仕掛け互いを映えさせる企ての豊かさを感じた。
姫路まで足を延ばして本当によかった。
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姫路文学館 没後60年記念ー歌人岸上大作展
『辺境ーどこまで行っても』
3月14日(日) 午前の部 午後の部 2回公演
@姫路文学館 講堂(北館3階)
作・演出
南慎介 (Ammo)
原案:岸上大作「ぼくのためのノート」出演
土佐まりな(新宿公社/交々) ひきのさつき もなみのりこ(交々)
小林咲子 井上実莉(Ammo)
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