アマヤドリ『ブタに真珠の首飾り』感想メモ
3月25日ソワレにシアター風姿花伝で観たアマヤドリ『ブタに真珠の首飾り』の感想メモ
この文章にはネタバレがあります。観劇を予定していらっしゃる方は、観劇後にお読み頂ければと思います。
初めて戯曲の上演を観たのは伊丹AIホールだった。今回よりすこしオープンな印象のある空間だった記憶がある。その時にはもう少し登場人物達の抱くものの絡まり方や解け方に一筋縄ではいかなさみたいなものがあった気がする。それに比べて今回はすっと端正に世界が解けていくような感じがした。それは善し悪しということではないし、もちろん会場の違いだけではなく、キャストの異なりや座組のバランスなども含めて様々な要素があるのだろう。加えて、そういう上演環境などに留まらない、何度か上演を重ねた戯曲の磨かれ方のようなものも感じる。
作り手の仕込んだ作品のモチーフは、しっかりと段取りを組まれ削ぎ出され、終盤に観る側に渡され、そのことへの一人ずつの立ち位置や価値観や感覚の異なりも厚みをもって描き出されているのだけれど、この戯曲にはそこに至るまでの俳優達の会話に身を委ね、ひとつずつの台詞の裏側に潜む事実やキャラクターの色や想いを一つずつ拾っていくようないくようなおもしろさもある。伊丹ではその部分の渾然やすごく良い意味での不安定さや俳優どおしの探り合いのようなものがビビットにも感じられつつ、それでもなにかが解ききれずに丸まっているようにも思え作品のテイストにもなっていたのだが、今回の舞台ではそのあたりの曖昧さは感じられず、その分距離や間、ひとつのシーン、ひとつの台詞ごとに舞台の中のどこの空気が動きどこの空気が息を潜め留まっているかの変化のようなものが、より俳優達によって作り込まれ観る側を取り込んでいたように感じた。概ね戯曲の顛末を知っていても、そこに至る台詞のひとつずつにへたらず丸まらずビビットさを失わず、時に観る側を前のめりにさせるような芯があって、改めて筋立てにも、場から訪れる皮膚感覚にも心を奪われ続けた。
こういうのって、良き再演を観る楽しみって、名人の噺家たちが誰もが知っている古典を高座に賭けるたびに一期一会の新鮮なときめきを感じるのと同じなのかもしれない。
結婚披露宴の前後を描くという時間のボリュームもあり、観終わった時点ではそれなりに消耗もしていたけれど、そこには会話の揺蕩いとその奥にある人が生きる確かさをとても丁寧に渡され続けた充足感のようなものが残る。演じた俳優達にそのひとりずつが紡いだ女性たちのありようを、それぞれの風貌と価値感に裏打ちされた刹那ごとの想いを観る側に与えつづける力量があったことにも気付く。タフな物語でもありつつ、その解け方にも巻き込まれつつ、別の見方をすれば、伊丹で観たときにもそうだったけれど、戯曲が良き俳優達の底力の舫いを解いた舞台でもあった。
帰り道、その余韻の中で、俳優が良いと思える舞台というのは、観る側が無意識にまで心を捉われている舞台なのだと再認識をしたりも。
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アマヤドリ『ブタに真珠の首飾り』
2021年3月19日(木)~27日(土)
@シアター風姿花伝
作・演出 :
広田淳一
出演 :
相葉りこ(以上、アマヤドリ)
夏沢リカ/石田裕子/葦原梨華
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