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内面の"自分磨き"とは何か

"自分磨き"という言葉はよく耳にするけど、
多くの場合が主に外見を磨くという意味での
使い方のように思う。

私自身も、
"自分磨き"をしたい!と強く思う時があるし、
"自分磨きweek"と名付けたりして、その週は自分磨きをする行動を意識して、してみるようにしてる時なんかもある。
でもそれって結構、外見の方に特化していた気がする。"1週間"って区切ってしまうくらいだしね。

では、内側の"自分磨き"ってなんだろう?

内面を磨くっていうと、
外見を磨くのに比べて、
なんだか手段が浮かびにくい。

それはなぜだろう?

おそらく、外見を磨くためには、何か器具やコスメを買ってそれらを使ってみたり、美容院やエステで技術を施してもらったり、新しい服を買ったりというように、

自分の外側に求める行動が多いから、
手の施し方がわかりやすいからではないだろうか。それに加えて、比較的「短時間・短期間」で変化が見えるから、取り組みがいもあるのかもしれない。

それに比べて内面を磨くとなると、
自分の内側に変化を求めることになるため、
どうやって手をつけ始めればいいかも分かりづらいし、手の付け所を知るためにも、自分を客観的かつ多角的に分析することが必要だと思うから、
内側を変化させていくには、「長い時間とプロセス」が必要になる。

よって、外見を磨くよりも内面を磨く方がハードルが高くなるのだと思う。

ここで一つ、私の内面についての気づきのエピソードと、見解についてお話ししたい。

最近私は体調を崩して、
"しっかり休まなければいけない時間"ができた。そこで"自分"について、そして"自分磨き"について考えたりした。

実はその、"体調を崩した"という事柄自体が、
私の内面の自分磨きにまつわる一つの事象だ。

私はよく、いろんなことを一度に頑張りすぎたり、力が入りすぎたり、無理をしてしまって、知らず知らずのうちにストレスや疲労を溜めては身体がSOSを出すように、体調を崩してしまう。(今回の場合は冷えも多かったけど。)

実は、そのサイクルは、何度も何度も経験した。
でも何度も何度もまた繰り返してしまっている。
自分も苦しいし、周りも悲しませるし、迷惑をかけるから、"気をつけよう"と毎回寝込むたびに心に決めているはずなのに、繰り返してしまっている。

それはなぜかというと、きっと、
私が自分の腹の奥から、
"頑張りすぎること"とは、
"力が入りすぎること"とは、
"無理をしてしまう"とは、
「いったい自分にとってどういうことなのか」
しっかり理解することのないまま、その問題を放置して、身体が良くなっては何事もなかったかのようにいつも前に進んでしまっていたからだ。

このように、今回私が対峙した
自分の内面の問題点がある。

ここで大事なのは、
これらの問題点とは、
真摯に向き合い、その問題の答えを自分なりに、または自分だけでは難しい時は周りの人の声にも耳を傾けながら編み出していくこと。
そして問題の根源をあらわにして、それを正直に受け止めて、改善していくこと。

そういった姿勢なのだということに気がついた。

"問題点"というのは時に、
「強がり」だったり、「甘え」だったり、「見栄っ張り」だったり、「嫉妬」だったり、「強欲」だったりする。私の場合。

それらと向き合うのって、
なんかすごく辛いし、なんか恥ずかしいし、
結構苦しいし、あんまりいい気持ちじゃない。

できれば、いい顔をして、ごまかしたかったりすることもある。

でも、その内面の問題をごまかし続けたら、
本当の意味での自分磨きはずっとできないのかなと思う。

"自分"という人間のレベルがずっと一点のまま、
止まってしまうと思う。

苦境が人間を成長させてくれたりするのは、
苦境が自分の内面の問題点や弱い部分と対峙する機会をくれて、しっかり自分で考えて、納得して、前に進む、というプロセスを強要されるからなのかな。もしかしたら、そうかもしれない。

長くなったけど、
外見を磨くのと内面を磨くのでは、
それに必要な期間も労力の使い方も全然違うということと、
内面を磨くためには、
自分の内面の問題点や弱さの根源を突き止めて、しっかり考えて、府に落ちて、前に進むというプロセスを踏まなければいけない、そしてそれは簡単なことではないけれど、できた時に自分レベルがアップするのかもしれない!

という私の見解の話でした☺︎

そして、このことに気づかせてくれた私の大事な人に心から感謝しています。

終わり☺︎

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