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アナログの力

《アナログの力》

ある人が「描くなら鉛筆がいい」といった。「鉛筆を使わなくなったから、日本人はこんなにバカになってしまったんだ」と。

またまたそんなこと言って。アンチシャーペン、懐古主義の人なのかな、なんて思った。

わたしは今、マンガやイラストは全部デジタルで描いている。

下書きも液タブ、清書も液タブ。その方がスキャンをする必要もないし、工数が少なくて楽なのだ。


けれど・・・


ずっと液晶に向き合っていると、不意に息がつまってくることがある。

(絵を描くのは好きだ。でもなんでこんなに詰まってくるんだろう。)

結論から言うと、それはデジタルだからだ。

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「心の爆発」を誘発するのはアナログ

「アート表現のこころ」という本を読んだ。そこで紹介されているのは、自分の体で感じられている”感覚”を色鉛筆やクレヨン、クレパス、絵の具、様々な画材で表現してみるというワークショップ。

自分の感覚をいろんな色を使って表現してみる。そして出来上がった表現からまた自分の感覚を感じ取ってみる。これを繰り返す。

アートと心の相互作用である。

この本の途中にこんな問いかけがあった。

「今、あなたの気持ちはどんな色?」

赤。とっさに思った。

赤。強い赤。わたしは今、イライラしてる。怒りだ。その「赤」をクレヨンを使って大きな画用紙に書きなぐりたい。そんなエネルギーが沸きあがってきた。

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せっかくエネルギーが沸きあがってきたので、試しにこの感じをクロッキーに描いてみようと思った。

クレヨンは持っていないので、仕方ないから、ノック式0.5ミリの赤ゲルペンで。

思いのままにかきなぐる。ゴリゴリゴリゴリ!!


・・・しかし

まぁ想定してはいたことなのだが、インクが切れる(笑)

思い切り書きなぐりたいのに、インクが切れちゃって、興ざめである。さらにはこんな強く書いちゃったら、インク出なくなっちゃわないかな、と残量を確認する始末。余計な心配が生まれてしまって、思いのままに描くどころじゃない(笑)

しかもクロッキーだとやはり紙質が薄いから、ゴリゴリには向かない(笑)


この時はっとした。

思い出したのだ。冒頭の言葉を。

「描くなら鉛筆がいい。鉛筆を使わなくなったから日本人はバカになったんだ」

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こころと現実をつなぐアナログ。こころの疎通が人間を賢くする。

もしこの場にクレヨンと画用紙があったなら。

クレヨンが折れるまで赤でかきなぐっていただろう。

折れても書ける。めちゃくちゃになっても、クレヨンは色を出し続けてくれる。色鉛筆もそう。折れたらまた削ればかける。鉛筆もそう。素材である木と芯に使われてる炭素が、こころの表現を支えてくれるのだ。

アナログは強い。心の爆発を受け止め、支えてくれる。

こころのつまりがアナログを通じて現実に表現された時、エネルギーが循環する。そして空いたスキマに、新しい風が吹き込んでくる。

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思えば絵を描くのが無条件に楽しかったあの頃、わたしはデジタル機器を使えなかった。だから絵を描くと言えば、アナログでしかやりようがなかったのだ。

ルーズリーフにシャーペンで絵を描いていた。

イマイチだと思ったら消しゴムでゴシゴシと消し、ちょっとミスれば紙も破れ、わっしゃぁあああ!となりつつ(笑)コピックで色を塗って、塗り重ねすぎてにじみができてくそ!と思ったり、思ったような色にならなくて塗ったことを後悔したり…かなり面倒くさかった(笑)

しかし、描きあげたときには、気持ちの良い達成感が残っていた。インクにまみれた手とともにー。

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たまに昔の絵を眺めることがある。

そうすると不思議と癒されることがある。

「案外上手だな」とか「なんか迫るものがあるな」と感じることもある。

一線一線、鉛筆で描かれた、アナログの温かみもあると思うけれど、それ以上にきっと、エネルギーが循環した痕跡が癒しを与えるのかなと思った。


当時の心の爆発を、受け止めてくれたアナログの画材たち。

本当に苦しかった学生時代、絵を描くことだけが楽しみだった。もしかすると、わたしが正気を保てていたのは、アナログで絵を描けていたからかもしれない。

心の爆発を受け止め、表現させてくれ、エネルギーを循環させてくれた、アナログ画材たち。

ありがとう。


心を爆発させ、エネルギーを放出させ、現実に表現していくことが、健康的に人を成長させるのかもしれない。


追記

今、アナログでうまく描けるかどうかわからないけど(笑)

あえて面倒くさい工程がたくさんあるアナログの絵も、また描いてみようかな。

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ここまで読んでくださりありがとうございました!



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