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泣けない人が哀しみ泣きかける夜。

大人になってから、僕は泣くことがない。
涙が枯れた訳じゃなく、大体泣けない。
大人というか、覚えている限りはそんな記憶がない。
「感動」以外では、小さい頃の大きな怪我をした時、家族が逝った時にはちゃんと泣けたのを覚えてる。

普段から、感動モノのドラマや映画を見ても泣くことはない。ハッピーエンドやバッドエンドであるとか、壮大な愛の物語とかに関わらず。
エンタメとして面白ければドラマを全話見ることもあるが、結局はそこまで。

お芝居を見られないという訳じゃない。
主人公の気持ちは分かる。共感も出来るし、グッと来ることもある。良い話だなだったり、こんな目に遭うなんて可哀想だな、とも思える。

男女の恋愛だけでなく、家族愛の物語も同じだ。
恋愛モノでも、数多の試練を乗り越えるストーリーは家族愛に似た感覚を感じる。
個人的には、純粋な幸せの先にある感動よりも、不遇な環境やそれを克服する物語に比較的弱い。

近年覚えてる限りでグッときた・感動したのは、
映画なら『2067』『ラーゲリより愛を込めて』アニメなら『葬送のフリーレン』ミセスのライブでは『Utopia』『前人未到とリライアンス』『Atlantis』など。アーティストのライブは圧倒されるものがあり、感性を揺さぶられやすい。

解る」し「感動する」けれど、涙を流すまでは中々いかないのだ。



苦しく哀しく寂しく

そんな僕が、見知らぬドラマの
たったワンシーンで心を奪われた。

そのシーンを見てから、その夜はなにをしても思い出してしまい、逃げるように眠りについた。

月9ドラマ『君が心をくれたから』

※⚠️本作の重大なネタバレを含みます⚠️
↓↓↓



誤解の無いよう言っておくと、
まだ1話も観ていない
これから全話を観る予定の段階。

......何言ってんだこいつ?と思っても待って欲しい

見たのは、snsで流れてきたワンシーンとコメントによる状況説明。

(今知っている以上の情報は遮断して視聴したいので、予想で書いてある部分があり間違いを含む可能性があります)
大まかに説明すると、恋人〈太陽〉の命を救う代わりに「心を失う」契約を交わした〈雨〉が五感をひとつずつ失う物語。

終盤、〈雨〉が最後の五感「聴覚」を失うシーン。
何かを失う哀しみは、そのストーリーの背景を知るからこそ強く味わうものがあるはず。
それでも、背景を何も知らない自分でも、
このワンシーンに深い哀しみを食らった。

人間の五感、その全てを失う辛さは誰にも体験することは出来ない。
それでも彼女の最後の感覚、ひいては心を失う様子に大きな共感、正しくは感情移入をしてしまう。
とてもじゃないがいたたまれない。

何も触れないし、見えないし、聴こえない。
なのに意識はある。
こんなの発狂せずにいられるかよ、、、

😭

たった1つ失うだけでどれほどの喪失感か。

まさに真の絶望。


発狂したり何かを叩きつけることは、発声して身体の力を使ったり自分の耳に届く声、手に痛みが出ることでストレスが発散されているはず。

何よりも苦しいハズなのに、
何1つ感じることは出来ない。

苦しみもいつまでも発散できないという哀しさ。
当然それは誰にも伝わらない、共感されない寂しさ。

どれだけ悲しんでも誰にも届かない、そんなことを想像してしまうと本当に苦しくなる。

分かるわけないのに。


無の恐怖 孤独の恐怖

冒頭で話したように、自分はあまり感傷的にならず涙を流さない。
それなのにここまで共感し、胸が締め付けられ泣きそうになるのはなぜか。

多分、死にたくないんだ

全ての感覚を失う、それは即ち死んでいると同義。
他人からしても、自分からしても。

そこまで共感出来るほど、〈雨〉役:永野芽郁の表情のみの演技力が凄いというのはあるんだろう。

以前、自分の死後の世界を想像したことがある。
他人から見たでも、自分のあの世の世界でもない。
自分の意識は、死んだら何にも触れられず、聴こえず、見えないことに震えるほど恐怖、するという思考すら出来ないまま、真っ暗でもない無の世界になるってことを。
魂とかの話ではなく、現実的にどうなるのか。
誰かの存在も認知するどころか、自分自身も認知出来ない。

そんな想像で感じる寂しさが今回の感覚と似てる。
「死にたくない」と重ねてしまう。
だからこそ、ここまで泣きかけるんだろう。
直視し続けたら、泣いてしまうのかな。


恐ろしい脚本

〈雨〉は五感を失ったことを少しずつ感じ取り、あまりの恐怖と絶望に声を出して聴覚を失ったことを確かめることすら出来ない。
確定してしまったら、生きていく活力など何も無くなってしまう。
それでも、環境音や〈太陽〉の声がしないことで徐々にその事実を悟る。
計り知れない喪失感に、まさにまで失う。

やっぱりこんなの耐えられない。
言いたくないけど、もはや廃人になるなんて。

物語としては、こんな展開もあったはずだ。

〈雨〉が〈太陽〉に問いかける。彼はそれに、愛に満ち溢れた素晴らしい回答をする。
少し間が空き、〈雨〉は「ねぇ、」と呼びかける。彼女は続けて、「なんで何も言わないの」と告げる。
彼の返事は届かなかったという落とし方。

それでも、きっと本当に全て失った人が心を失う様を表現するための選択なんだろう。

人が無になっていく瞬間。
人が死んだ瞬間。

自分だったら......?と。

自傷行為的に何度も観てしまう。全話を観たいと思ったのも、同じ理由なんだろうか。
その後どうなるのかは、まだ知らない。
これから観ていくけども、救われて欲しい。
このような表現をするドラマなら、彼女が救われるとは到底思えないが書いておきたい。

どうか、
なんとか生きて、生きてて欲しいと。



これまでに無いほど、泣きかける。

泣きそうになるということは、無気力な自分も未だ生きていたいという貪欲は確かに抱えている証拠なんだろうと、この哀しい感覚を覚えると共に思った。

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