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別れが運んできた答え

「生きる意味」

皆さんはこの問いを一度でも考えたことがあるだろうか。

明確な答えを探し続けても見つからなそうなのに、人生の永遠のテーマでもあるこの問い。

私のこれまでの人生はゴールのないマラソンのようなものだった。

家族もいるし、友だちもいる。仕事もあり、趣味もある。平凡で幸せな生活。それなのに、明確に人生のゴールというものを見つけられず、これほど苦しんで努力して達成したことも人生が終わった後にはすべて消えてしまうのではないか、そんなことを考える日々でもあった。

まさにゴールのないマラソンを一人必死に走っていく感覚。

その先に何が見えるのか、どこにゴールがあるのかはきっと走り抜いた先にしか見えないはずなのに、その先にゴールがあるのかないのかわからないこの不確実な人生をいつわりなく楽しむ、そんなことが私にとっては越えられそうにない大きな壁に見えた。

性格上、目的がないとなかなか一直線に進んでいけない私だったので、人生に対しても自分の使命や目的を探さずにはいられなかったのだろう。

その答えを26年間見つけられず、いつその答えにたどり着けるのかという漠然とした期待と疑いの心を持ちながら、目の前のことにがむしゃらに生きてきた。

そんな中。

別れ

2022年10月。
母方の祖母が他界した。

近しい人が亡くなる経験は初めてでとても悲しかった。

焼き肉店を営んでいた祖母。その後はアルツハイマー病に罹患し、今までのように歩いたり話したりできなくなってしまったが、それでも小さい頃によく遊んでくれていた姿や、焼き肉店で従業員に慕われて元気に働く祖母の姿は鮮明に残っていた。

葬儀は祖母が住んでいた岩手県で執り行われ、無事に全ての儀式が終わり、私たちは帰路についた。

そして家に戻ってきたその夜。私は今まで経験したことのない不思議な体験をした。

祖母との思い出が蘇っては中々深い眠りにつくことができず、目を覚ました夜中。目を開けると天井にバレーボールくらいの青い光が浮いていた。寝ぼけていたのだろうか、夫を起こそうと目をそらしもう一度見た時にはその光はなくなっていた。

オーブ。よく写真に写りこむ青い小さな光。

空気中の水蒸気やカメラのフラッシュによるものと言われているが、大きさはもっと大きくはっきりと青色の光を放っていたその物体。その光の正体が何だったのかは今でもわからないが、寂しがり屋で悩みやすい私を心配して、旅立つ前に祖母が私を勇気づけてくれているような気がした。もう一度現れてほしいと願ったが、その光はもう二度とは現れることはなく、祖母の姿を思い出してはまた涙が溢れだした。

もちろん、この話を信じてくれる人はほとんどいなかったし、自分でも信じ難いことを言っている自覚はあるが、自分が祖母の存在を感じたのであればきっとそうなんだろうと、周りからの信用を期待することもなかった。

二度目の別れ

それから4カ月後の2023年2月。

今度は父方の祖母が他界した。身内が立て続けに亡くなる、そういうことは続くらしいという説を聞いたことがあるが、元々親交が深かった二人は一緒に行こうと手を取り合うかのように、二人揃って旅立ってしまった。

予期しなかった別れの連続に心が悲しみに包まれていたが、何よりも親と別れの時を迎えた両親の心情を考えると、余計悲しさが増すようだった。

祖母の葬儀のために集めた昔の写真たち。葬儀では祖母の生涯を描いた動画が流れた。

父方の祖母は早くに夫(私の祖父)を亡くし、彼が経営していた会社を引き継がなければいけない立場になったという。そんな中でも生涯にわたり会社を守り強く生き抜いてきた祖母。私たちには「おばあちゃん」としての顔だったが、動画の中に映し出される彼女の、「誰かの娘として、妻として、親として、そして経営者としての生きていく顔」に、祖母の人間らしさを見たような気がした。

祖母との思い出はたくさんあるが、その中でも特に印象深いことがいくつかある。

祖母は本当に誰が見ても「仕事人間」というほど、人生の大半を仕事に捧げてきた人であった。祖母の家のテーブルには、仕事関係者の電話番号がびっしりとメモされた用紙が貼ってあり、毎年お正月に祖母の家に親戚が集まった時には、必ず朝から関係者の方々全員に新年の挨拶の電話をかけ続けていた。一緒に仕事をしてくれる方々を常に考え、仕事に生きる、そんな祖母の姿が印象的だった。

そしてもう一つ忘れられない祖母との思い出。祖母が生前私達孫にずっと伝えていた言葉。

『人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、そして、まさか』

その時は私達にはギャグか何かにしか聞こえず、「おばあちゃん本当に面白い」と言いながら一緒に大笑いしていたが、今では祖母が大事にしていたその言葉の意味がわかったような気がした。どんな不測の事態が起きても諦めず強く生きていく祖母の人生が、その言葉に込められた意味を体現してくれているかのようだったし、祖母が私たちに伝えたかったメッセージが今は素直に受け取れるような気がした。

無事に祖母の葬儀が執り行われ彼女とのお別れの時間が終わった。

別れの悲しみと共に、彼女が生きてきた生涯についてほとんど知らなかったこと、葬儀で初めて彼女の人生に触れるきっかけになったことに、私はとても深い後悔を感じた。

きっと人は後悔しないように生きようと心に誓っても、誰かを失ったことに少なからず後悔はするものだろうと思うが、それでも生きている時にもっとたくさん話を聞けばよかった、そんなことを思わずにはいられなかった。しかし、今からでも彼女たちがどんな人生を送ってきたのか知りたい、その思いは変わらなかった。

そして見つけた祖母(父方)が昔書き綴っていた日記。

なんだか勝手に見るのは祖母の人生に土足で踏み込んでいる気がして申し訳ない気がしたが、この喪失感もまた祖母がどんな思いで生きてきたのか知ることで埋められるのかもしれない、そんな期待を込めてページをめくった。

そこには仕事も完璧にこなし、弱音も吐かず強く生きてきた祖母の姿とはまた違った彼女の正直な気持ちがつづられていた。夫(私の祖父)を失った悲しみや会社を経営することの難しさ、そして祖母もまた「夫(私の祖父)が生きている時になんでもっと色んなことを聞いておかなかったのか」と悲しみの思いを綴っていた。それでも文章の最後には必ず「夫が残した会社、そして息子たちを強く守っていかないといけない」そんな強い思いが綴られていた。

祖父の意思を継いで会社や家族を固く守り、その思いが絶えぬようバトンを繋いでくれた祖母。

その日記を読み終えた私の心は、今まで見えなかった人生のゴールが開けていくような、熱く燃えるようなものが心を埋め尽くすそんな感覚に包まれていた。

見つけた答え

どこかでこんな本の内容を見たことがある。
「周りから見たら大きな偉業を遂げた人物でさえも、死ぬまでに達成できなかったことがあり、それは残された者たちが思いを継いで完成させることで一つの形になった」と。いつ読んだ本なのか、タイトルや本の内容はほとんど覚えていないが、おそらく例としてウォルトディズニーやエジソンの話が取り上げられていたような気がする。

その時はなんとなく読み進めていた言葉たちだったが、祖母の日記を読みその時の言葉が線として繋がった気がした。「誰かの生きた証というものは誰かが語り継ぎ思いを引き継いでいかないと残っていかない」ということ。

もちろん、建造物や楽曲などその人の生きた証を有形のもので残せる手段もあるだろうし、もちろん何かを残さなければ生きた証がないということを言いたいわけでもない。

ただ、どんなに素晴らしい楽曲も後世の人たちがそれを評価し奏で、残してきたからその人の生きた証として残っているのだということ。他のものも全てそうだ。素晴らしい功績を残した歴史的人物も彼らの生き様を語り継ぐ者がいるから色濃く今も名をはせている。逆に言えば、語り継がれることがなかった故にそのまま眠ってしまった素晴らしい音楽、素晴らしいストーリー、素晴らしい歴史が多く残っている可能性があるとも言えるだろう。

きっとどんな人にも人それぞれの人生のストーリーがあるし、誰も同じ人生を歩んだ人は一人としていない。そして、その人達が成し遂げられなかったことを完成し彼らの思いを果たすのも、彼らの人生の証も残せるのも、後世に残された者たちだけであろう。

その時の私には、祖母や祖父、両親、彼ら彼女たちが守ってきたもの全て、今度は私が守って引き継いでいきたいと強く思う気持ちが芽生えていた。

彼らが立派に成長しろと送ってくれた学校、守り抜いてきた会社、家族、そしてどんな状況でも強く生きて道を探し生き抜いていかなければいけないというまっすぐな思い。

「私たちを強く守ってきた祖母や祖父、そして両親。その人たちの生きた証を残したい」

私の生きる意味が明確に答えとなって表れた瞬間であった。

何のために生きるのか、人生の目的に迷い重く深い問いを考え続けた私に、祖母たちが別れという形で運んできてくれた答え。

導いてくれた答えを形にするためにそこまでの道筋を立てていく、ここからは自分自身で考えて模索していかなければいけないのだろう。

こんな大きなことを言いながらも、私はまだまだ未熟で毎日悩みながら模索しながら人生を歩んでいるが、彼女たちが運んできた答えは確実に私の人生を大きく動かすものになった。

私には強く人生を進めていかなければいけない理由がある。
大切な人たちの生きた証を残していくために。



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