そうだ 地下トンネル、行こう。
山、海へ行く。
神戸市民なら聞いたことがあるかもしれない。山を削って宅地化し、そこで出た土砂を海に運んで埋め立て地を作った、高度経済成長期の神戸市の巨大土木事業を表す言葉だ。
どうやって山が海に行ったかといえば、ベルトコンベアだ。山から海までトンネルを掘ってそこにベルトコンベアを敷き、山を切り開いて出た土をそのまま海に運び、更にそれを船で沖合に運んで人工島を作る。普通に考えれば荒唐無稽、まして今の時代にそんなことを言い出せば炎上間違いなしの所業だが、それを本当にやったのだから昭和という時代は凄いと思う。ちなみにベルトコンベアが動き始めたのは昭和39年だが、なんと平成17年、2005年まで稼働していたらしい。最終的には神戸電鉄某駅近くから須磨海岸まで、全長14.5km。冗談ではなく目まいがする。
そのベルトコンベアが、この度「神戸モダン建築祭」の一環として限定的に公開された。幸運にもその見学に参加する機会を得たので、ささやかながらその時に見たものを残しておこうと思う。
地下トンネルの入り口は神戸市西区の山あいの某所にある。保安上の理由で場所の公開は不可と言われたが、恐らく近くに行ってもその下に長大なトンネルが眠っているとは思えないような場所だった。
入り口を入ると階段を降りるそばから、トンネルの奥に向かって巨大なベルトコンベアが延びているのがわかる。
自分の知っているベルトコンベアとあまりにスケールが違いすぎて実感がわかないのだが、なるほどその構造を見ると、確かにベルトコンベアだ。
動力を供給していたモーターも流石に巨大だ。
一部だけ残されたベルトの上には、現役時代を偲ばせる砂のようなものが若干残っていた。
ベルトと呼ぶにはあまりに分厚くて広くて長い代物だけに、それを支える直径20cmくらいはありそうなローラーが無数に並んでいた。「ベルト引き合せ張力≒3t」という表記が、意味はわからずともその尋常ではないスケールを物語っている。
設備自体はシンプルで、薄暗いトンネルの中に土台とベルトが単調なリズムを刻んで続いている。ハードが残されているのは最初のひと区間だけだったが、それでもこのプロジェクトの笑ってしまうような壮大さを伝えるには十分だった。
高速道路のトンネルで見掛けるような表示板が、定間隔で設置されている。頭上にはメガホン型のスピーカーがぶら下がり、トンネルならではの逃げ場のない緊張感をうっすらと漂わせていた。
稼働を終えてから20年近くがたつだけに、殆どの構造物には見事な錆が発生している。錆ってこういう風につくんだなと、シンプルに思う。
ベルトコンベアに沿ってひたすら歩いていくと、やがて広間のような大空間にたどり着いた。昔はここに様々な機械が置かれていたのだろうが、今はそれらは全て取り除かれ、コンクリートむき出しの、ある種荘厳な空間だけが残されている。
頭上には錆にまみれた立派な構造物がそのまま残っている。その規模といい年季の入り方といい、この手の空間が好きな向きにはたまらない光景だ。
ちなみにここに着く直前、2匹のコウモリが壁際をひらひらと飛んでいった。音もなく結構な速度で飛んでいく姿は私は嫌いではないのだが、気づいた瞬間に悲鳴を上げる人もいると思う。聞くと何匹かがこの長大なトンネル内に棲みついているとのことだった。
竣工当時の部署名が記されたプレートが残っている。神戸市の資料によれば、開発局はその後何度か名前を変えた末、現在の都市局の源流のひとつとなったらしい。
側面上部にも大きな穴が口を開けている。地下工事の仕事をされていたという他の見学者の方のお話では、これは通気口のようなものらしい。この方からは他にもこのトンネルを作った当時と現在の工法の違いなどをお聞きできて大変興味深かった。確実に言えるのは、今とは比べものにならない手間と時間を掛けて作られたということだ。
そしてこの地下教会のような空間から先も、同じようなコンクリートの筒が延々と続いている。ここからひたすら歩き続けさえすれば、やがて須磨海岸にたどり着くことになる。改めてその異常な事業規模に圧倒されるのだった。だって、土を運ぶためだけにこんなものを作るか?
あっという間に戻る時間になり、あまりの大きさにくらくらしながら元来た道を戻る。帰りは緩やかな登りだが、想像以上に疲れたのは、このトンネルの規模やら思想やら空気やらに完全にあてられてしまったからだろう。
とはいえ、行きとはまた違うところに目が行くようにもなった。運転中は清掃禁止。そんな恐ろしいことを誰がするものか。それにしても、この地下の巨大且つ長大な空間を、「ベルト引き合せ張力≒3t」のベルトが休みなく土砂を運び続けていた頃は、いったいどんな光景が広がっていたのだろうか。
当時使われていた機器がそこかしこに残されている。もう20年も前に操業を終了したにも関わらず、今でも電源を入れると明かりが点いて、モーターが唸りを上げ、残されたベルトコンベアが巨体を軋ませてゆっくりと回り出すような気がしてしまう。そう、ここは立派な過去の遺物でありながら、決して廃墟ではない。役目を終えて静かに眠る、神聖な遺跡のようなものなのではないだろうか。
こうして私は再び階段を上り地上に戻ってきた。そこは何の変哲もない神戸の山の中で、少し歩くと公道に出た。実はその真下から、これから帰ろうとしている須磨の海の手前まで、60年近く前から掘り進められたトンネルが走っている。それは殆どファンタジーのような、しかし現実にあるれっきとした神戸の歴史の一部なのだった。
神戸には古い建物が多く残るだけに、再開発の度にその保存の在り方が議論になる。しかし一方で神戸は古くから諸工業が栄え、また意欲的な都市開発が行われた場所でもある。今回見たベルトコンベアやトンネルなどは、まさに神戸のそうした側面を象徴する産業遺産のひとつだろう。せめてもう少し多くの人の目に触れ、自らの住む街の成り立ちに思いを馳せる機会が増えるといいなあというのが、先人たちの熱意の塊を目の当たりにしての率直な感想だった。