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わたしの愛着は迷子だった~幼少期を振り返る~
こんにちは、りぃと申します。
ただいま育休をいただいて、むすめとのんびり暮らしています。
今回の記事は、自分の幼少期を振り返ります。
今まであえて振り返ってこなかったある経験についてです。
少し気が重い話です。ですが、これからどうしていくか考えるために書きます。
良ければ、読んでみてくださいね。
きっかけ
むすめもだいぶ落ち着いてきて、自分の時間も取れるようになりました。
折角だし勉強でもしようかな、と思いました。勉強することは好きで、常に学びたい欲はあります。
でも、何を学ぼうか・・・。そうだ、むすめ、赤ちゃんのことを学ぼう、と思い立ちました。赤ちゃんのことを知れば、もっと育児が楽しくなるんじゃないか?という安直な考えです。
さっそく調べてみると、色んな分野がありました。その中で、ある言葉に目が止まりました。
「愛着」
意味も調べてみました。一部抜粋します。
愛着(Attachment)は心理学の用語。乳幼児が主たる養育者との間に築く情緒的なきずな。
情緒的なきずなとは、大事にしてくれる人との「感情的な」きずなのこと。いわば子どもの安全基地。それがあるから子どもは安心できる。
とても大事なことだと感じました。しかし、目に止まったのはそれだけが理由ではありませんでした。
主たる養育者、わたしの場合は母でしたが、彼女に対する愛着について考えても、あまりピンと来ず、思考が停止してしまったからです。
自分の過去を振り返る
この際なので、愛着に関して、自分の幼少期を振り返ることにしました。
当時、母がどのように考えていたか分かりませんが、わたしが彼女から感じたことを書いていこうと思います。
母は、わたしのことを酷く疎ましく思っていました。
特に記憶に残っているのは、利き手を矯正されそうになったことです。
幼少期から、わたしは左利きでした。どうしても、右手では文字を書いたり、作業ができませんでした。
母は困惑していました。どうにかしてわたしを右利きにしたいようでした。
夕日が差す薄暗い部屋に閉じ込められ、真ん中の机に座らされ、置かれた紙に、右手でただひたすら数字を書かされました。
当時のわたしも、母と同様に困惑していました。母がなんでそんなことを強要するのか、まったく分かりませんでした。
パニック状態だったので、わたしはなぜか右手で反転した数字を書いていました。なんでそう書いたのか、分かりません。号泣しながら書いてました。
そんなわたしに母はますます激昂しました。「なんでみんなと同じことが出来ないの!!!」と絶叫していました。
結局、どうにもならずに、左利きのままになりました。
それに関して、わたしは良いとも悪いとも思っていません。
「なんでみんなと同じことができないの?」
ことあるごとに母はわたしに言いました。
母の過剰な心配をよそに、わたしはことごとく「みんなと同じことができない子」でした。
すぐ居眠りをする、勉強や練習を真面目に取り組まない、隙あらばふざけてしまう。母にとって、それは「みんな」ではありませんでした。
その度に母は激昂しました。執拗に「みんな」を強要しました。わたしはその度に泣きました。母はますます怒りました。
やっぱり母がなんでそんなに怒っているのかが分かりませんでした。分からないけど、決めたことがありました。
「何しても怒るんだから、母を頼るのはやめよう。」
気が付いたら、わたしも母を酷く疎ましく感じていました。
そう感じていると、母に甘えたい、という気持ちはなくなっていきました。気持ちが一気に楽になりました。
その後は、母に怒られそうになったら、「めんどくせ。」と思って、ただ逃げる日々でした。捕まって怒られている時も、「早く終わんねぇかな。」と思っていました。内容は一切入ってきませんでした。
そういう風に母との生活を過ごそうと決めました。なので、そこからはだいぶ楽に生きることができました。
ただ、おかげさまで、母との愛着について、良く分からない大人になりました。それに関しても良いのか悪いのか分かりません。
まとめ
幼少期を振り返ってみたら、少し具合が悪くなりました。動悸が激しくなっているのが分かります。自分が不憫に感じます。
でも、愛着がピンと来なかった理由がなんとなく分かりました。
愛着が持てずに迷子状態だったんだな、と思いました。
そして思いました。その後、迷子な愛着はどうなっていったんだっけ?と。わたしの感情は愛着の視点から考えると、色々分かってくるんじゃないか、という直感が働きました。
なので、次回の記事では、小学生あたりから今までを、愛着という観点から書いてみたいと思います。
今回のように、思い出したくないことも言語化すると、少し苦しいけど頭の整理になるので、続けていきます。しかし、どうなることやら・・・(笑)
お読みいただきありがとうございました!