見出し画像

わたしの愛着は迷子だった②~幼少期以後を振り返る~

こんにちは、りぃと申します。
ただいま育休をいただいて、むすめとのんびり暮らしています。

今回の記事は、前回の続きです。


幼少期の自分を振り返り、母に対する愛着を感じない理由が分かりました。

今回は、小学生になったわたしを振り返り、愛着の観点から考察してみようと思います。ただ、あくまでも主観になります。専門的な見方ではない点をご容赦ください。



小学生になり、母との関係に変化がありました。

母は、わたしが言いつけを守らず、叱っても聞く耳を持たないので、私に対してどんどん無関心になりました。大抵、わたしが何をしても興味を持たず、知らんふりをしてました。

わたしにとっては、この状況は好都合でした。厄介払いができた、とむしろ嬉しかったのを覚えています。

それからは好きにさせてもらいました。放課後も友人と思いっきり遊び、夜まで帰らないこともありました。(さすがにその時は叱られました。)

あの頃はとても楽しかった記憶があります。友人とめいっぱい身体を動かして、追っかけっこやかくれんぼをしました。



そのまま、楽しい日々が続くと思っていました。しかし、中学生になると、状況が変わってきました。

周囲の人たちと、なんかズレてるなぁ、と思い始めました。会話しても盛り上がらないし、相手もつまらなさそうでした。いや、誰よりもわたしがつまらなく思っていました。

当時はその理由が良く分かりませんでした。分からなかったので、ずっとモヤモヤ、イライラしていました。ただでさえ口数が少なかったのに、ますます少なくなりました。

今、思い返してみると、わたしは周りの人たちに「愛」を求めていたのだと思います。とにかく可愛がってほしい、という思いが人一倍に強い子でした。母とできなかった感情面でのきずなを、他の人たちに求めていたのかもしれません。

小学生の時は、それで成立しました。自分で言うのも何ですが、周りの友人にとても可愛がられていました。チヤホヤされて、気にかけてもらっていたので、そこに「愛」を感じていました。

ところが、中学生になると、だた「愛」を求めるわたしは孤立していきました。周りを見ると、まず自分から相手に「気遣い」という「愛」を送って、相手から感謝され「愛」をもらっていました。

そう、わたしは圧倒的に「気遣い」ができない子でした。それを意識したことがほとんどありませんでした。でも「愛」は欲しがりました。きちんと大人に成りゆく周りの人たちは、人間関係には「気遣い」が必要だとちゃんと分かっていました。

そして、そんなわたしをほとんどの人は疎ましく思い、離れていきました。唯一残ってくれたのは、世話好きの優しい人たちだけでした。

それから、わたしは優しい友人たちに全力で甘えました。その時も、友人を自分と対等に思いやることができませんでした。わたしの過剰な要求によって、そんな人たちとも絶交になったことが何回かあります。



社会人になっても、その傾向は変わりませんでしたが、ちょっとした転機がありました。ある人との出会いです。

彼女は、職場の先輩でした。明るくて世話好きで、でも根が真面目な、いわゆる姉御肌あねごはだな女性でした。

先輩は、気を遣わないわたしに「それは良くないよ!」とはっきり言いました。「自分のためにならないよ。損するよ。」とも良く言われました。

当時のわたしはその意見に反抗的でした。それよりも、わたしに気を遣ってくれ、と本気で思っていました。

ただ、周りにちゃんと気を遣って、頼りにされている先輩を見るうちに、あぁ気を遣った方が得をするんだな、とは感じていました。

そして、少し憧れました。わたしも先輩のようになれたらなぁ、と。先輩のように皆で仲良く仕事したい、とも思いました。

でも、それを自分がする気にはなれませんでした。それくらい、自分の「愛」は歪みきっていたいたんだと思います。



そんな時、また転機がありました。夫との出会いです。





今回も長くなってしまいましたので、夫との出会いについてはまた次回にしたいと思います。

書いてみて思うのですが、本当に自分勝手だったな、としみじみ思います。自分の性格もありますが、感情的なきずなをある程度築いていたら、もう少し違う人生だったんじゃないか、とも思ってしまいます。

次回も、良かったら読んでくださいね。
お読みいただきありがとうございました!


いいなと思ったら応援しよう!