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カナダ留学3ヶ月目 「綺麗」に溢れた秋と日本語講師のお話

前回1ヶ月目のnoteを書いてから、1ヶ月ごとに書くなんて意気込んでみたものの、やはり後ろに足が出てしまった。既に秋は去り、冬の入り口に立っている。
後々詳しく書くけれど、此方の秋は本当に美しかった。それに秋を感じる中で、半自動的に日本語の美しさにもうっとりとしてしまって、あな、英語圏(フランス語圏)。やはり表音文字のアルファベットよりも私は表意文字に魅力を強く感じている。

11月、3ヶ月目という時期。
8月、9月の体と空気の境界線が明確にあった時期から、その線の境目が溶けてきて、きっと無意識的に張っていた肩の力がストンと落ちている。1か月目とは毛色の違う、環境への「慣れ」、10月には怠惰と堕落という嫌な性格も連れてきた。
今回のnoteは個人的な振り返りとなんとも言えぬ絶妙なお話を一つ添えてみた。


Mont Royalより、絵葉書のような一枚

いと美しき此方の秋

10月、15度目線を上げて、とりあえず歩く

私が過ごしているモントリオールの秋は、日本顔負けに美しかった。Mont RoyalというMcGill Universityの北側に位置する山がちょうど紅葉を迎え、街中も街路樹が黄色と赤、朱色、鷺色、まだ緑色のまま残る葉があるも一興。15~20度の快適な温度と美しさでただ歩くだけでもまさに「心地よい」季節だった。幸運なことに、晴れの日が全体的に多く、特に10月14日から20日位までのReading Break以降はお日様が好意的に顔を出してくれていて、まさにハイキング日和。

好きな音楽を耳いっぱいに注ぎ、背伸びしてJazzやボサノバを聴いてみたり、限られた洋服のレパートリーの中からトレンチコートが映えるように計算してみる。学生も街の人も隙あらばカフェ片手に芝生やベンチでのんびりとしている。時間の流れが穏やかなモントリオールの秋が凄くすごく好きになった。

日本の紅葉といえば、明治神宮外苑の銀杏並木や整備された紅葉の木が浮かぶけれど、これは国の違いか、カナダとDay tripで訪れたアメリカの紅葉は質より量で訴えかけてくる。山や森一つとってもスケールが大きく、擬音語で言えば「うぉぉぉぉ」と色付いた木々が連なっているような紅葉である。紅葉側も、車で観光されることを想定しているのかしら。高速や幅広の道路を車で駆け抜けていくときに見える木々だけでも十分お腹いっぱいになれる秋だった。

友人がくれた、愛用品かつ必需品のリュックサックと共に
芝生でだべれる、その季節が至福なのよね

だが疎ましけれ中間試験、魔の2ヶ月目

そんな美しさに溢れた10月は、綺麗な葉っぱと言葉だけでは片付かない。11月の今振り返っても本当に苦しめられた1ヶ月だった。

重くないはずの週末締めshort essay、やれエッセイ、ミニテスト、大型中間テスト。カレンダー上のすぐ先の予定が、借金取りにお金を取られる催促予定日のように控えている。いつも何かに集中しろと求められている感覚で、心の底からの平静がちっとも味えない。加えて就活。その上、高校時代に染み付いた一夜漬けで乗り切る大変よろしくない癖、尚且つ諦めの悪い性格というフルコンボ。全て混ざり合った結果「やりたくない〜」という気持ちが拭えない。

自分を奮い立たせるも、気が乗らないが故にベッドにダイブ、捗らないわで左手にはスマホ。貴重な時間を何度killしたことか。後悔、反省、修正、惰性、ふて寝、後悔、反省…。ループを重ねてしまって、正直苦い後味が残っている。

アンニュイな空と銀杏、完璧

無意識的に8、9月を全力疾走して息切れし、そのリバウンドを経験していたのだろう。これを書いている、11月下旬の時点では魔の2カ月目からは抜け出すことができたけれど、他の海外留学組からも2ヶ月目の停滞期に苦しんでいると連絡が来ている。つまり、恐らく、2〜3ヶ月目に襲ってくる泥濘は私一個人に限らず、誰しもがある程度通る道なのだろう。

結果論では、10月の1ヶ月を通してイヤイヤ期の最大の化身と共存した分、残りの留学生活で何を成すのか、大局的な時間の使い方、何をしに留学しに来たのか自問自答し、一定の答えを持ち直せたと思う。繰り返したくはないけれど、ある意味で意義のある10月だったと言ってあげたい。
それに、もし読んでくださってる方で、同じ症状が出ていたら、大好きなお菓子や美味しいものでも摘みながら、無理に頑張ろうと追い詰めずにとりあえず机の前に座っていれば良いとお薦めしたい。
人間だもの、そういう時もある。

曇天のケベックシティ、なお美しいけれど。

10月は上述然り、アザラシの姿勢でお部屋に篭っている時間が長かったけれど、
・気分転換にたくさん外に連れ出してくれる留学同期の最高の友人達、
・時にはゆっくり羽を伸ばしても良いんだよといつでも無条件の愛情と共に肯定してくれる家族、
・授業に着いていけず絶望的な時、嫌な顔せず「説明する中で自分の勉強にも役立つから気にしないで!」と一緒に勉強してくれるMcGillの友人たち、
・各国からすぐ電波に乗ってお喋りしてくれる友人、先輩、後輩たち、
・まだまだ発展途上フレンチながら根気強く会話に付き合ってくれるroomie達、

もちろん、どうしても日本語の方が細かい感情の機微を伝えられるし、話すテンポも他の言語よりも滑らかで相変わらず早いけれど、言語とかどこの誰とか関係なく、誰かがそこに居て、その関わり合いがあるからこそ、こうして生かされていると凄く感じた。特にこの2ヶ月間は強く実感した。
みんないつもありがとう。これからもよろしくです。

カナダの首都オタワ、国会議事堂

11月、時は短し、馴染む秋

上述、まさに曇天のような10月と比べ、11月は本当に一瞬だった。ボストンキャリアフォーラムという就活のビッグイベントのために、4日間モントリオールを離れ、ボストンに行ったからということもあるけれど、それにしても早い1ヶ月だった。ようやく、中間試験も全て片付き、ボスキャリも終わり気持ち的にも回復してきた。11月下旬に差し掛かった最近の天気は、5度前後。そこまで覚悟していたよりは寒くない。ハロウィンを終えた街は徐々にクリスマスモードに衣替えをしていて、所々のイルミネーションが嬉しい。

クラスメイトだった友人達も一緒に夜ご飯を食べたり、お出掛けする位の距離に近づき、何より上手な力の抜き方を覚えた。所属しているNMUN McGill(模擬国連の団体)や日本語教室、一つ一つの授業でもお互いに顔と名前が一致し、それぞれの人がそこにいることが当たり前になる肌感触。8月や9月の、身体の輪郭が四角だとするとそれが少しずつ角が取れて楕円になり、私が留学生だからとか関係なく空間が肌に馴染み、心地良い空間になってきている気がする。

夜の校舎の一角と銀杏、綺麗

5$が持つ意味

つい最近、旅行の予定や外食の予定が増え、少し自分でお金を稼ぎたいと思ってバイトを探すようになった。モントリオールでバイトをするとなると、キッチンのスタッフ以外基本的に英語とフランス語のバイリンガルであることが求められる。私のフランス語はまだまだ職場で使えるようなものではなく、且つ週に3日間働く時間を捻出するのも難しかったから、オンラインでできるものを探した。

そこで見つけたのが、自分で自分の教えられるものに値段をつけて、個別でオンライン講師をするというもの。日本で言えば、オンライン塾講師や家庭教師のようなものである。残念ながら日本の中高生ならまだしも、こちらで世界史や算数、国語を教えるほどの知識はないので教えられるものといえば日本語のみになるのだが、それでも1人体験授業を受けたいと申し込んでくれた方がいた。

彼女は私を"ma'am"と呼ぶ

1人のナイジェリア人女性である。ひらがなとカタカナと漢字の三つの文字体系があること、日本語で簡単な自己紹介ができる彼女。5ヶ月間で日本語を身につけたいという。彼女は、私のレクチャーの相槌として必ず"Yes, Ma'am"という。
”ma'am”とはフランス語で自分より身分が高い人への丁寧語、わかりやすく言えば「奥様」という意味に当たる。普通にfirst nameで呼んでもらって大丈夫と恐らく年上の彼女に言うも、終始"ma'am"呼びである。

ナイアガラの滝、思っていたよりは小柄だった

初回体験を終えて、レッスンを定期的に受けてもらうべく予定や値段調整をする段に。てっきり、カナダに住んでいると思っていたため、夜の時間帯を指定していたが、ナイジェリアとモントリオールの時差は6時間。初回同様23時から授業を行うとなると、彼女は朝の5時に私の日本語レッスンを受けることに。大変だろうから、カナダで午前中の時間に変えようかと提案しても、5時で私が起きて仕事の前にやるから問題ないと言われ渋々頷いた。

また、当初15$/1時間で設定していた値段ついて、安めの価格設定にして欲しいと連絡が来た。希望を聞くと、1回1時間、5$で週に2回学びたいという。使っているサイトの相場は言語レッスンであれば、1時間25$以上が当たり前、私の設定している15$でもかなり安い方であって、5$と言われた時の正直な感想は、「それでは稼ぎにならない」。日本での塾講師は平均して1時間あたり1500円以上(カナダドル14$)であり、ヨーロッパ、米国、カナダで見ても10$以下で受けられるサービスなぞ、ないに等しい。

ナイアガラは米国とカナダの国境に跨る、奥が米国サイド

ナイジェリアの平均月収

そもそも彼女にとっての5$とはいくらの価値なのであろう。そう思ってgoogleでナイジェリアの平均月収を調べて驚いた。ダイアモンド・オンライン社によればナイジェリアの平均月収は12000円(100$)である。
https://diamond.jp/articles/-/319365#:~:text=ナイジェリア人の平均的,ほどの差があります%E3%80%82

若輩であり決してプロの日本語講師でもない自分の説明を、”Yes, ma'am”と言いながら朝の5時から終始意欲的に熱心に聴いて学ぼうとしている彼女。平均月収12000円というが、彼女は一体何でいくら稼ぐのだろう。週に2回、月に8回。私の日本語授業に払われる月額40$は、どの国の誰から見てどのくらいの金額設定なのだろう。彼女の素性が何であるのかや、職業、年齢等はよく知らないし、どうなるのかもよく分からない。

もちろん正直なところ1回10$以上に設定させて欲しいのは山々であり、カナダで暮らす私にとっての月40$はだいぶ微妙なところである。だが、彼女以外に今の所生徒はいない。バイアスを含んで、ナイジェリア人との価格交渉に同情や憐憫を感じて良いのかも分からないし、彼女にとっての5$の価値を勝手に推察して良いのかも知り得ない。

だからこそ?であるがしかし?
やってみましょう。5$の日本語レッスン。
月に40$入るならカフェで8杯のコーヒーは飲める。

こうして今のところ彼女しか生徒のいない、オンライン日本語講師が始まった。

トロント、モントリオールより高層ビルが多い、東京みたい

カナダ・モントリオールでの留学生活も折り返しまで残り1ヶ月。時の流れは恐ろしいもので2024年も残すところ12月だけである。早い。早すぎる。慣れた9月、馴染んだ10月、11月。
次に更新する時は過ぎた時間にどんな代名詞を付けているのか知らないけれど、とりあえず健康第一に今年を締め括れるように過ごそうと思います。


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