未来

未来を創ると考えたとき、どのように創っていくだろうか?

頭で計算して、未来からの逆算で考えるだろうか。
それとも、今できることから手をつけていくだろうか。
その両方をしていくだろうか。

未来はどんな時も、未知で可能性に溢れている。


私は、これまでずっと、未来を悲観的(ネガティブ)に考えてきた。
例えば、夢ややりたいことがあったとしても、お金やその他の何かを理由にして諦めたり、先延ばしにしてきた。
その生き方こそが安全だと考えてきた。

残念ながら、それは間違いだったといまは感じている。

いまこの瞬間、豊かであることが未来を創るのだ。
いまこの瞬間、動くことで未来も動きが生まれるのだ。


未来はいつも不確定で、この瞬間の判断が、あとから失敗と感じることもあるかもしれない。だけどそれは、その時の自分が失敗と感じただけのことなのだ。その時はまた、未来を創る動きをスタートすればいい。

人生に、正解不正解はない。

そして。

自分自身を成長させようとしたとき、できる範囲の中で現実的に生きていては先はない。未来はいつも夢にあり、恋にあり、理想にある。

なぜなら、いまできることの範囲の中で生きていては、
自分自身が決めた「限界」の枠を、いつまで経っても突破できないからだ。


このnoteに記事を書くことは、私にとっては未来を創ることと等しい。

働きながらこうして動いているが、本当はもっと時間が欲しく、お金も欲しく、社会に貢献できる自分で在りたいと強く望んでいた。

起業は、自分にはとてもじゃないけどできないし、選べない選択だと考えていた。だから諦めようと考えていた。すると、日常にどんどんガマンが増えた。時間の自由が効かない、なかなか休めない仕事だからと、本当に行きたいことやりたいことよりも働くことを優先した。それが辛いことだから、心を殺して働いて、心身を麻痺させた。
そうしているうち、どんどん鈍くなっていった。鈍感になり、身体を壊すまで訳がわからなくなっていた。

そのうち、仕事のせいでやりたいことがやれないと考えるようになった。あの人のせいでと、仕事先の人たちを恨んだ。お門違いである。

起業すると決めたり、行動を起こしたところで、すぐに何か形になるわけではない。それはよくわかっていたから、ずっと躊躇っていた。すると、ガマンをし始めて2ヶ月も経たないうちに、40度の高熱が3日間続いた。血液検査でも何も異常のない、原因不明の高熱である。

本音をガマンして、やりたくないことをやるなんて私にはできなかった。

わかっていたけれど、この社会に合わせなければと考えていた。
お世話になっているあの人がいるからと、人間関係のしがらみに耐えることを選んでいた。

そこに、愛なんてものはなかった。


やりたいことをやれないのは、私が弱いからだった。
やりたいことをやれないのは、私に勇気がないからだった。

やりたいことをやれないのは、気持ちに素直になれないからだったのだ。


やりたいことを、しよう。
本当の意味で、"生きる"ことをしよう。

好きなことをして生きていこう。
そのためにできることをして動いていこう。
きっと、その最中は楽しいに違いない。自分のやりたいことが自由にできる未来に向かっていけるのだから。

ありがとう。こうしているうちに、私も、腹が決まった。



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