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歴史は化学反応だ!

こんにちは、前回までに、「私が妄想した日本古代史 」に関して、縄文時代までの記事を投稿しました。今回は少し横道に逸れて、その中で感じていた日本の歴史教育への苦言を記したいと思います。

学校教育の歴史は嫌いを増やすだけ

私、中学や高校では、歴史は大嫌いでした。
例えば奈良時代について、教科書には「710年に奈良の平城京へ都が移った」という記述の後に、それが元明天皇の時代であったことや、聖武天皇が大仏を建立したことなど、奈良時代の事跡が並びます。年号と事跡を丸暗記することを要求され、テストでは記憶を問われます。
これ、何の関りもない大昔の知らない人の話など興味ないのに、憶えようとしても頭に入らず、大嫌いだったんです。地理も同じようなもので、行ったこともなければ行く予定もない地域の地形や農産物など、頭に入りません。

教科書の歴史は事実ではなかった

学校教育の歴史では、昔のことをあたかも事実のように教えられて、それをテストで問われました。しかし、大人になって色々な情報を見聞きすると、昔のことは不明な点が多く、教科書に書かれた歴史が事実だとは言い切れないことが多いことを知りました。あるいは、その事跡自体は事実であっても、背景に大きな事情があったことがわかると、意味が変わってきます。意味が違っていたら、その歴史はもはや事実ではありません。
にも関わらず、年号と事跡を丸暗記させられて、教科書と合っていれば〇、違っていれば×になるんです。〇が事実だとは言い切れないのに。これではまるで、嘘を真実だと思い込ませる洗脳教育のようなものです。

歴史は化学反応だ!

教科書に書かれた歴史が事実だとは言い切れないことがわかると、逆に歴史は謎解きに変わり、がぜん楽しくなりました。真実を探求する研究者の血が騒ぎます。

調べているうちに、自分が歴史を考える際には、いつも当事の人々が何を考えていたのかを想像していることに気づきました。歴史は人が作るものなので、当時の人の生活や環境や価値観を知り、自然や他者からの圧力を感じれば、自ずとこう考えてこう動いたんだろうなと、歴史を肌で理解できるんです。逆に言うと、肌間隔で不合理な記載があると、それは文献の記述の方が疑わしいことがわかります。その時には、考古学や地政学や民俗学などの状況証拠を集め、当事者の気持ちになって、何が肌間隔で合理的かを感じれば良いんです。これは理系の理学です。

これまでに記した縄文時代を例にすると、旧石器時代の人がある日突然に日本全国で縄文土器を作り始めたわけではなく、縄文人と言う新たな人種が宇宙から降ってきたわけでもありません。まずは地球温暖化という大問題が発生し、日本ではマンモスが絶滅した代わりに堅果類が増えた結果、人々が新たな生態へ徐々に移行したという気持ちが肌間隔で理解できました。そして、新たな生態の中で時間に大幅なゆとりが生まれたため、独特の文化が深まり、縄文土器を作り始めたわけです。その背後にある基本法則は、今の自分も持っている心でした。

これ、理系で言う化学反応と同じです。ある物質が突然に他の物質へ変わることはなく、まずは温度や圧力などの環境変化や他の物質との混合などの状況変化があり、化学の基本法則に沿って化学反応が起きた結果、他の物質へ変わったのです。

歴史の基本法則を考える

歴史の基本法則がわかれば、歴史の謎は解けます。歴史上で何かが起きた場合、必ずその原因となる変化が手前にあり、基本法則に沿って化学反応が起きた結果、その歴史上の事跡が起きたんです。その法則を考えるには、年号や事跡よりも考古学や地政学や民俗学などの状況の方が重要になります。

今の自分が置かれている状況に対し、歴史の基本法則がわかれば、未来を予測できます。その未来が好ましくなければ、自分の価値観や行動を変えることで、未来を変えることもできるはずです。そのために、歴史の謎を教えて、自分を主語にして基本法則を考えさせることが、重要だと思うんです。


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