リハビリつれづれ 2

 「おはようございますー!」
 リハビリ室にスタッフの明るい声が響き渡る。九時となり私たちのリハビリの先生としての一日が始まる。この中で一番大きい声を出しているのは豪先輩である。受付を終えた患者さん方が次々とリハビリ室に入ってくる。まずは自分の担当患者さんに声をかけ、本日の体調を伺いながら患者さんを誘導するのが私たちの第一の仕事である。患者さんの誘導は出来る限りすみやかに行わなければならない。
 私が日々働いているこのリハビリ室は、ざっと見渡せば何がどこにあるかわかるほど狭い。正面入り口から左側が理学療法室と診察室が二つ、右側が作業療法室、右奥に言語聴覚室と分かれており、理学療法室にはまっすぐ歩行路が二つ、その右に唯一日の当たるスペースがあり、治療ベッドが三台置かれている。歩行路の左側には、スタッフ用の小さなスペース(中にパソコンがずらりと並んでいる)、その奥には平行棒(この両脇に棒がある中で歩く練習をすることで手を使いながら歩く練習ができる)が三つ並び、さらにその奥に治療用ベッドが三台置かれている。一番左奥には自転車エルゴメーターが二台置かれ、右奥には練習用階段が置かれている。この窮屈なスペースで患者さんに歩いていただくというのも申し訳ない話であるが、病院にこの部屋を拡大するお金なんてあるはずがなく、さらにはリハビリテーションというのは他の治療と比べるとぞんざいに扱われるものであるから、今のこの環境を最大限に利用するしかないのが現状である。そのためには、患者さんを待たせないようにすみやかにリハビリ室の中へ誘導するというのは、狭い入口で患者さんが溜まってしまわないようにするためにも必要なことなのである。

 「おはようございますー!よろしくお願いします!」
 杖で付き添いの看護助手さんと歩いていらしたこのお体が大きい女性は、本日最初の患者さんである右膝の人工関節の手術をされた山口あきえさんである。人工関節は膝関節の変形(変形性膝関節症)や、股関節の変形(変形性股関節症)による痛みに対して、関節が痛くて辛いならその部分を切り取って金属に変えればいいという大胆な発想により生まれた手術である。人工関節置換術は膝関節の置換術(これはTKAと略される)だけでも毎年六万八千人以上が実施されており※2、理学療法士が関わることが多い疾患の一つである。山口さんは十年前から右膝が痛くなり、運動や服薬等による保存療法を続けていたが、飼い犬の散歩へ行くのも膝が痛くて歩けなくなったため手術を決意したそうだ。
 山口さんはとにかくおしゃべりである。旦那さんと二人人暮らし、お子さんは二人で女の子と男の子。長女の方は自宅から徒歩十五分くらいのところに住んでおあり、お孫さんがいらっしゃる。お孫さんは現在小学校六年生の女の子で、私に似て元気はつらつ、ダンススクールに通っており、そのダンススクールのリーダーをしているのだそうだ。飼い犬の名前は「マル」。今は旦那さんが散歩に連れて行っているため、マルに嫌われないか心配だとのこと。「マル」という名前は野球好きの旦那さんが付けた好きな野球選手の名前らしい。山口さん自体は、本当はフランダースの犬からパトラッシュと名前を付けたかったのだが、旦那さんから、
「パトラッシュだと飼い主も一緒に死んじゃうだろ。」
 と言われ、結局旦那さんのマルを採用したとのことだ。以上ここまでがリハビリ初回の会話で教えていただいた内容である。
 これは私の個人的な考えであるが、膝の人工関節置換術をされた方はお話好きな方が多い。もちろん全ての人が当てはまるわけではないが、それには変形性膝関節症になりやすい人の特徴があるからであると私は考える。一つ目は女性が多いこと。疫学的に女性に多いと言われており※3、やはり男性と比べると女性の方がお話好きである。二つ目は認知機能に問題ない比較的若い方(六十歳代や七十歳代)が多いこと。家庭や仕事、地位活動など、社会生活でも役割をもち活動的に生活されているため、話題が豊富である。三つ目は肥満な人が多いこと。私はお体が大きい人は心も大きい方が多いと思っていて、これは私だけでなく、ドイツの精神科医であるクレッチマーさんも肥満型の人は社交的とおっしゃっているのだから※4、私の独断と偏見ではないことを強調したい。山口さんは見事にこの三拍子が揃った患者さんでなのである。
 さらにいえば、人工関節の手術を受けられる方が、他の病気と違って予定入院であるという点もお話好きに影響するのかもしれない。予定入院の場合、あらかじめ入院日が決まっているのであるから、予定外入院と比べると精神的負担が少ないことは想像できるだろう。
 山口さんは、術後成績良好で、現在病棟内は杖で歩けるようになり、階段昇降も見守りしながらできるようになっている。今日もたまたまリハビリ時間が同じになった同室の方と、
「今日も頑張りましょうね。あら、田中さんもうそんなにきれいに歩けるの?すごいじゃない!」
「いえいえ山口さんこそ・・・」
とお互いの褒めあい井戸端会議が始まったため、
「山口さん、リハビリしますよ!」
と声を掛ける。
 この山口さん、いざ歩くとなると痛みが出て右足に力が入ってしまい、ぎこちない歩き方となってしまう。
「山口さん、右足ロボットみたいですよ!足の力抜いてください!」
 といったところで、
「そんなこと言われても痛くてー。」
 と。そこで、私は違うところからアプローチをする。
「そうですよねー。痛いんですよねー。少し歩幅広くしてみましょうかー。広く広く!ところで先程の方はお部屋が一緒の方ですか?」
「そうなのよー、昨日の夜も隣の病室の方と話が盛り上がっちゃって!お話聞いてたらお住まいがね、私は神保駅の西口の方なんだけど・・・」
「山口さん歩幅広くね!」
「あー、そうね、ごめんなさいね。それでね、あの方は北口の近くなんだっておっしゃるから!いつも行っているスーパーも一緒で!あら、奇遇じゃない! そしたら前からスーパーであってたのかもね!なーんて話をしていたら、看護師さんにもう少し静かに話してくださいって怒られちゃったのよ。もーう、いやになっちゃうわー。・・・」
 なんて話をしながら右足を見ると、少し歩幅は広くなり、振り出しのぎこちなさが軽減している。私は適宜歩幅を維持するよう指示を出しつつ、山口さんの話を伺った。
「山口さんは、お膝が痛くて手術されましたけど、お口は元気ですよね。」
「ふふっ!先生面白いこと言うのね。そうよー、でも大事なことよ。膝が痛くて、しゃべることもしなくなったら気が滅入っちゃうわ。」
「そうですよね。“病は気から”っていいますからね。是非、お口も動かしていただいていいので足も動かしてくださいね。」
「はーい。わかったわ。」
 理学療法士は薬を処方したり、手術をしたりして患者さんの病気を治すはできない。ただ、自らの手を用いて、あるいはいろんな道具を使って治療を行ったり、その人に合った運動を提供することしかできない。もちろん適切な運動によって痛みを軽くしたり、体が軽くなったりするわけであるが、手術後の痛みを一瞬できれいさっぱりとることはできないのである。そのため、病気と闘っている患者さんにとって我々ができる大切なことは、患者さんに寄り添い 、“気”から発生する“病”と闘う患者さんを助太刀することなのである。
「先生ね、先生がリハビリの担当でよかったわ。」
 思わぬ一言であった。これはこの仕事を選んでよかったと思える瞬間の一つである。
「ありがとうございます」
 と返事する。
「だって先生みたいな若くてイケメンな人にいろいろマッサージしてもらって隣で歩いてもらえるなんて幸せでしょ?」
 苦笑いである。ただ理由がどうこう、私がイケメンかどうこうはおいておいて、痛みがある中歩かされるという苦行を楽しくできていることは私としては大バンザイであるため、
「私も山口さんのリハビリができてよかったです。」
 と答えた。
 そこに通りすがりに話を聞いていた豪先輩が割って入ってきた。豪先輩は私が一度お休みを頂いたときに山口さんのリハビリをお願いしたことがあるので面識があるのである。
「山口さん!おはようございます!ちなみに私はイケメンですか?」
 一度代わりに入ったの人の名前をしっかり覚えているところは本当に尊敬に値するのだが、それを打ち消すかのように質問内容がよくわからない。そして山口さんは笑顔で、
「いや、あなたはマッチョよ。」
 とだけ返した。
「マッチョ!ありがとうございます!最高の誉め言葉です!」
 豪先輩が満足したところで山口さんは今まで痛くて歩けなかった三百メートルを歩き終えた。
 
※2 田中 亮:高齢者の膝関節痛の疫学.理学療法ジャーナル, Vol.55,No.1.p13
※3 田中 亮:高齢者の膝関節痛の疫学.理学療法ジャーナル, Vol.55,No.1.p9
※4 山内弘継・橋本宰(監),岡市廣成・鈴木直人(編):心理学概論.株式会社ナカニシヤ出版, p247-248.2006 参考


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