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涙腺に来る感動考
涙腺に来ることが感動の質と必ずしもイコールになっていない気がして、ちょっと不思議だ。
感動でまず思い出すのがオトナ帝国の階段シーンと鉄拳の振り子だ。
どちらも人がサビで力んでることで人を泣かすわけだが、そのシーンのみでは感動が機能せず、人が力む要因を次々と提示し、さあ力んでください!のフリがあって力んで人を泣かすわけである。
この場合、涙腺に来るのは7,8割方メッセージ要因ではなくフリとサビの小気味よさきっかけだとおもう。(涙腺に来るきっかけがそうだというだけで、もちろんそれ以外の部分でも作品はよくできている)
フリとサビの小気味よさだけで人が泣けるのは、世界でいちばんダサいPVと世界でいちばん頑張ってる君にを合わせたMADのコメントで少なからぬ人数が感動していることでもわかる。
このPVでも人が力んでおり、力む要因については感動した人たちがそれぞれ勝手に想像で補完しているわけだが、はじめギャグとして見えていたものが、歌詞やメロディによって「そういえば明るく頑張っている」とあまり注目していなかった点に気付かされ、そのギャップで感動するという構造ではないかとおもう。
加齢により涙腺がゆるくなってから、泣けることを作品の評価基準にしないことにしたという友人がいる。
単に泣けることで価値判断をするのは、流されすぎといって間違いない。涙腺加点を、メッセージ加点と自分で勘違いするのは避けたいところだ。