崇高で華麗な人間になるためには

余に蔓延る悪と正義
しかしそれが悪とは限らない 正義とも限らない どちらかと言えば少数派の意見でもあるこのような意見は一理ある

それが、差別的なものなら尚の事だ。人々は争い事を止めない 好まない この矛盾点を見て返せばおのずと分かるはずだ

世界に差別的なものはあれど、それを止める事をしないのだ 術を知っているはずである

そう それは完全なる平和 和平条約なのだ それをしない限りは 商人や八百長のSS級クラスである政治家や貴族

そのような人間の思う壺だ 経済が発展すれば世界は技術が上がる?本当にそうだろうか?

最近では、そんなに変わらない 経済が発展すれば人の好みも移り変わってゆくものだ

その移り変わりで人は科学者になったり技術を強くしていくのだ その延長線上に進化というものがあるだけだ

つまる話、別に経済が発展しなくても技術向上に望む主義であればもっと具体的な進歩を発展するのであろう

正義と悪という議論にも、技術が進化すれば それすら支配してしまうコントロールシステムは完成するであろう

私としてはなのだが、淘汰されていく少数派の意見 をきいたところでそれは結局淘汰されるのである

ストライキとなって多くの人間が連なっていかない限りは政府など国の自称偉人共は八百長試合を止めないだろう


金融主義?そんなものは必要ない 資本主義?世界を悪と化した主義であろう

何が主義であるか? それは 技術主義だ 科学主義 である

和平にするものは、人間ではない 機械生命体だ 機械だ 電波だ

モノによって人々の鬱憤をコントロールすればいい

技術が進化していけば開発レベルも上がるだろう そしてさまざまなアイテムが作られていく

感情を喜怒哀楽コントロールしてくれるシステムがあればどうだろう

作られてしまったら、誰がしたことも許してしまう 争い事に好戦的なものには良い薬となるであろう

そして、その感情の起伏を促すのは戦いを好む人や暴力的な人に分類する

正確的には、全世界中の生物に感情をコントロール化させてしまえばいともたやすく平和に生きる事が可能だ

第一、喜びという感情をマックスにコントロール化されているのに、暴力的になったりするだろうか

そして、それに対するパトロールだって、技術が向上してさえすればいくらでも応用の効くシステムが作られるのだ

そう、機械文明 科学文明が発達すれば良いに越したことはない

人間が感情をコントロールできないから、争いは生まれる

そして、コントロールされる事に嫌悪感を生むものは、おかしいのだ

そういった方々が言う主張は自己中心的なように思われる なぜなら、新たな争いを生もうとするからだ

それが、小さな事であってもだ 暴力だったりしてもだ 喧嘩や差別意識だったりしてもだ

もう全てをコントロール化していかないといけないところまで来てしまっている

人類は次の進化へと研ぎ澄まされなければならないのだ


最終理念に到達した人間は悟りを開く

悟りに開化すれば ランダムに動いていく 進化とは、人に決められてはならない

だが、進化をするものが決めた処置ならそれは 進化である


崇高な人間とは、悟りを開けしものである 人類の間違った認識を考察しているものである

華麗な人間とは、金に目をくらまないものだ 税務署が大嫌いな人間だったりする 葬式で泣くだけ泣いてそれだけの人間である

金に汚い人間は、下劣だ 下品な生き物だ そういう生き物は駆逐されるべき破壊対象である

だが、科学文明が発達すればそういう下劣な生き物も生きる事が可能になる環境が作れるのだ

それは素晴らしきことだ 下劣でどうしようもない劣等で下等な遺伝子構造物を生き永らえさせてやれるのだ


崇高で華麗な人間とは、超越者だ 超越者は、人には理解できないと思しき場所で考えを強めている

その好奇心と邪念心を糧に都合の行くあるべき場所への光り輝く道をつくりだすのだ

世界は、自分で作られるものだ そういった概念を持っていなければ その目標には踏み込めないであろう


世界が憎ければ変えてみせよ!己が信念の誠の勇者である理想を貫き理想郷を巡り合わせてみせよ!

そいつが魂であり それが心というものだ 理解せよ そして裁きの創りし日の黄昏であいまみえよ

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