加藤智大の最終理念

理解されない 理解されようともしない

これが一番の最終的な考えなんだと思う

だから人を殺すしかなくなる

これは、最終的に負け組となった人物がやる事である


負け組とは、人が勝手に決めた 下品で下劣な人間が決めたようなものである

ただ、人間というものは見栄っ張りなものであるが故に そこに地位やプライドを大きくしたがる生き物である

人間だからこそ起こった殺人事件なので 自分がそうなるかも分からないものである


三大欲求が満たされない生活だったこと

ここでいうと、睡眠欲は一般人と同じである 食欲も豊富ではないが困らない程だ

ただ、加藤の場合は、性欲が一番の欠点だったのだろう

それが、セックスであったり、彼女という利点であったりする訳だ

特に加藤は、彼女がいないという事に絶望を覚えてしまったのと昔からそういう行為に走ったことが無かったからこそ

女性に対するコンプレックスだけが増えて 彼女の出来ない心と身体になってしまったのだろう


加藤がもしも殺人犯にならなかったとすれば 起こる事にならないようにするには

まず 彼女が出来ていれば 踏ん切りはついていたと思う もしも彼女いても絶望していたとしても踏ん切りだけはつけられただろう

一つの目標ポイントであるからだ 彼女がいないと散々嘆いていたのだから 満足感は得られるはずだ


次に 友達とのいざこざ ここでは、彼が編んだマフラーについて語ろう

彼は昔、友達のパーティに呼ばれた時 プレゼントがないからと 一生懸命男友達の為にマフラーを編んだそうだ

だが、編んだマフラーを手にいざ友達の家へと言ってみれば玄関で早々 立ち去る事を宣告されたそうだ

この時のショックさと友達が自分の事に対して何も思っちゃいないという負の感情へと心が誘われていったのだろう

そのような小さなショックが彼のコンプレックスの引き金になったのは言うまでもないであろう


彼は昔は女性に対しても話しかけれたのだそうだ やはり昨今ネット上の噂などそういったメディア関連の情報に惑わされて

洗脳させられたのだろう やはりマスコミやメディアは悪だ 洗脳をする悪である


親からの指示によって子供時代は良い雰囲気を醸し出せた というが それはきっと違うと思う

それが彼から発せられた一つの魅力であり 良い点だったんだと思う

そこから、徐々に友達との軽はずみさとその反対方向へと突き進む自分と悪に落ちていく自分がいたからこそ

大人になった時 誰にも認められない人間なのだろう と思ってしまうのである

いざ、見通してみると 加藤以上の負け組は腐るほどいる それは彼も分かっているはずだ

だが、それ以上に金持ちなどのいわゆる勝ち組は誇らしげに掲げたがるものだ

そこを彼は心底許せなかったし 許せない対象物だったのだろうと思うのだ

勝ち組に対するあこがれ と同様に 勝ち組の下劣さ 品のない稼ぎ方やり口 全てが許せなかったんだと思う


この負のスパイラルに陥れば地獄と同じだ

全てにおいての考えがネガティブにしか動かないからだ ポジティブな思考回路に達した人間がいくら

こうすればいいじゃないか こうしないからお前は駄目なんだよ

といくら講釈したところでもう届く事がないのだ

なぜなら、負のスパイラルはそれ以上のネガティブさで充満しているからだ

本当に近寄りがたい人間になってしまいかねないのだ


負のスパイラルは陥ってしまった人間にしか理解できないし なった人間でもその後抜け出した人間は理解しようとも思わなくなる

負のスパイラルは、一種の麻薬的な概念と似ている 分かってはいるけど、絶対的な抜け出せない気質 そのようなもので結成されているのだから

どれだけうまい話を曝け出しても どんなアプローチしたって 良いシナリオを立てようと もう彼の耳には聞こえないし

そうなってしまったら、彼には復讐となって勝ち組に対しての顛末を実行するしかない

そして、なぜ勝ち組に対しての殺人 だったはずなのに 秋葉原にしたのか

それは単純に 自分の趣味であった しかしその趣味の街は自分とかけ離れた賑わいが起きている

その矛盾に 憧れと嫉妬が混ざり合って 憎しみに変わっていったのだろうと思う

彼が考えていた勝ち組とは何だったのか

それは

彼女がいる事
セックスしている事
お金持ち
イケメン

特にイケメンは勝ち組の要素として大きかったんだと思う


彼は顔を特に気にする人間だったから 何かとつけて顔を支持していた コンプレックスの塊になったから仕方ないのだろう


整形できれば とっくにしている そう言っていた この事からもお金持ちに対するコンプレックスがあったんだと思う


そのような数々のコンプレックスなどによって彼は負の感情に支配されて犯罪を犯してしまったのだろうと思う


もちろん、私は加藤に対して同情をするが、

殺人に対しては 肯定する事はない だがその憎しみそのものの概念は理解していかなければならぬものだと私は思っている

そうしなければ いくら被害者側が 悲惨さを訴えたとしても 負け組が増え続けていくのならば 殺人者は増えるはずだからだ


自殺者が多いと呼ばれているが 殺すくらいなら 自分が死ねばいいんだ と思う人の方が圧倒的に多いからだ


自分で責めて自分を苦しめる そういった人間になってしまうのだ

何とも嘆かわしく悲しい事だろうか

そして、そこまで追い詰めていったのが 国だ 国のやり方だ

給料だって国に税収が多くなるし また就職も学歴に難儀されていたり

裁判沙汰などは、頭が固すぎる法案ばかりである 自由とはかけ離れた国であることは明らかだ

そして、そこに不満を持つ者はあれど 特に変えようと思う人間がいない という事実しか残っていないのだ

国が全て悪い それに尽きる それを蔑ろにするような政府や国に対しては信用してはならないのが摂理だ

私は資本主義そのものが嫌いであるし 金融主義はもっと嫌いな部類である

本当に滅んでほしい主義社会だ お金というもので苦しみ コンプレックスというもので苦しむこの世に

そして、それを正しく置き換えるには、 科学主義になっていかなければならないだろう

お金に価値がなくなる世界にしなければ この世界の人間が平和になる事はないだろう

少なくとも 負け組と嘆いている人間にとっては 地獄絵図だけが残るだけだ

社長などのものがお金にしたがる マイクロソフトの社長も PCをビジネスにしたのは大きな罪だ

全て仕掛け側は罪深き人間だという事を知ってもらいたい

誰かを社会的抹殺してのし上がった ただの野蛮人って事を十二分に理解すべきだ


そう考えていなければ 金融主義が崩壊する事はまずないのだ

科学主義を先行したければ やはり科学先行していかなければならない

非現実的な妄想であっても それは着実に現実化していくものだ

少なくとも自分がやらなければ 未来が変わらないというのなら やって見た方が良いと私は思うのであった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?