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屋号についての話

私は仙台で『Atelier ICHIMARU (アトリエ イチマル)』
という、お店をしているのですが、

この名前について、最近由来を聞かれることが多いので、
今日はその辺をお伝えしてしたいと思います。

「イチマル」という名前は、実は私の実家の屋号であり、
祖父から父が継いだ会社の社名の一つでもあります。

私、実は三姉妹の長女でして、流れで行くと、
その3代目なのですが、家業の特殊さもあり、、、叶わず。

せめて名前だけでも引き継ぎたいと思い、
お店を開店する時に、この名前を掲げる事にしました。

明治生まれの祖父から、
ギリギリ戦中生まれの父が継いだ家業は、船主業。

私の小さい頃は、サケマス漁や、サンマ漁をする船なども所有していましたが、時代の流れで、今は遠洋マグロ延縄漁船が主軸です。

マグロ船…と言ってもピンと来ない方の方が多いと思います。

よくお正月のテレビなどで取り上げられる 
「大間の一本釣のマグロ船」を想像される方も多いかと思いますが、

遠洋マグロ漁船は、 それとは違い
一度漁に出ると半年から1年帰ってこれないというあのマグロ船・・・
それをを運営してゆく仕事が実家の家業だったのです。

1年を通して常に、
自社の数隻の船が世界中の海で操業をしており、
漁を終えた船が、数ヶ月おきに、
たくさんのマグロを積んで日本各地の港へ入港します。

先ずは水揚げ、
その後、機材のメンテナンス、
次の航海の乗組員の募集、
給油に、食糧品の積み込み、餌の仕入れ、
そして全て終わるとまた次の漁へ出港してゆく、、。

という流れが、季節を問わず、
切れ目なく続くのがマグロ船の船主業(網元)。

父は、船に乗って漁に出る事はないのですが、
船が港に入港するとなると、
日本各地の港へと迎えに出かけ、
出港まで立ち会う事になるので、
常に留守がち、その仕事に365日休みはありませんでした。

稀に船が地元の港に着くとなると、
家族総出で、船に積み込む食糧品の準備をしたり、
作業している船員さん達全員のお昼を家で準備して、
食べてもらったり、、、。

そんな時は子供も戦力で、
また実家がサンマ船を所有していた小学校の頃の夏休みは、

秋から始まるサンマ船の仕込みを手伝ったり、
(サンマは漁船に沢山のライトをつけて、
夜に光でサンマを誘き寄せて、網にかけてとるので、
普段は別の魚を撮っている漁船に、その時期だけ
サンマ漁用のライトを装備する必要があります。
これが夏休みの時期に始まるのです)

親が忙しい分、夏休みの期間は家事を分担したりして
さんま船の準備が終わって、船が無事出港する頃には
あっと言う間に夏休みも終わる、、、。
そんな子供時代を過ごしました。

当時は、週末は両親の仕事が休みで、
連休はみんなで旅行へ行くと言う、
親が会社勤めの友人の家庭に、
とても憧れていました・・・。

土日どころか、お盆休みもお正月も、
ゴールデンウィークも家業優先の家だったので、
自分達は、何処かに連れて行って貰える訳でもなく、

たまに連れて行かれる旅先?は
気仙沼、焼津、勝浦、、、、と決まって大きな港町。

(そう、今思えば父親の出張先に連れて行かれたんですね。
日中は、父の常宿に妹と1日放置され、女将さんや、
従業員さんと遊んで貰った記憶があります。
忙しいなりの父の家族サービスだったのだと思います)

そんな家に生まれたので、
私は、小さい頃から
いちまるの孫、いちまるの娘、、、
と呼ばれて育ちました。

今でも地元では、山田さん、木村さんなどの名前より、
その家につけられた屋号の方が認知性が高いのです。
田舎あるあるで、集落に同じ苗字の家が多いというのも
要因かと思います。
(実家も隣3軒が全て、同じ苗字・・・)


「いちまる」という名前で、呼ばれることは
そのまま、子供ながらに家の看板を背負うことでもあり、
実家で生活していた、中学・高校生の10代の頃は
特に、それを窮屈に思っていました。

悪い事は出来ない、
人の目、世間の目を気にして自由がない。
私が出来良いとは言えない子供だったので余計に。

しかし、その後、地元を離れ、
念願の’’サラリーマンの夫’’と結婚し、
姓も変わってみて、

初めてその「いちまる」と言う名前に
実は、愛着を持っていた事を知りました。

父も歳を取ったので、
家業がいつまで続くかわかりません。

なんとか「いちまる」と言う、名前だけでも残したいと、
今になって思えた事は、自分にとっても意外でした。

遠洋漁業と
紅茶の輸入卸売•小売、業態は全く違いますが、
どちらも海を超えて、
皆さんに美味しい物をを届けると言う共通点も有ります。
(こじつけ・・・)

実は、お取り先さまや、お客様から
「イチマルさん」と自分が呼ばれると
今でも、ちょっとなんとも言えない感覚があって、

というのも、
これまで、祖父や、父もその名前で呼ばれていたのを見ていたので、
自分もやっと同じステージに上がったような気がして、
嬉しい誇らしい気持ちもあるのですが、
まだまだ、追いついていないというか、
しっくりきていないというか。

もう少し、身になじむには時間がかかるかもしれませんが、

祖父や、父のこれまで家業に掛けた、年月、そして努力に
恥じないように、、、。
しかし一方、その名にどこか守られている様な気持ちで、
日々精進して行きたいと思います。



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