天寿を全うするということ
昨日、義理の姉のお父さんが亡くなった。
90歳だった。
この時期なので、家族葬にするとのことだった。
葬儀までに少し時間があるとのことだったので、今朝お線香を上げさせてもらいに行ってきた。
なんといったらいいんだろう。生ききったということが見事に伝わってくる方だった。
亡くなる数時間前までしっかり意識があり、だからと言って恐れているわけでもなく、達観したわけでもなく、ただただ現状を受け入れて待ち受けているような様子だったと伺った。
毎日日経新聞を読み、株の値動きを見るのが日課だったと。
十数年前に奥さんを亡くされていて、その後は一人で暮らしていた。
そんな中、自分で入居できる施設を探してきて、自分で入り。
時々入院しては見事に復活し。
自分はこう生きたいと思う生き方をし・・・
お見事としか、言いようのない生き方だったと心から思うのだった。
人が亡くなる時って、何日も前から意識がもうろうとし、自然と意識がなくなり、最後を迎えるものというイメージを持っていた。
そうじゃなくて、本当に数時間前まで意識がしっかりあり、脈もはっきりしていて・・・
自分はこんな最後を迎えることができるのだろうか?
自分は、生ききったって言える最後を迎えられるのだろうか?
自分もだいぶ歳をとり、お別れの機会に遭遇することが多くなってきた。
しかし、ほとんど涙を流すことはないのだ。
親父の時も、弟の時もそうだった。
けど、今日は自然と涙が出てきた。
生きざまを、みせてもらったということなのかな。。
あと数年で還暦を迎えるわけで、あと30年ってことか・・・
じゃぁ今から30年前っていつ?ってかんがえると単純に30歳で、結婚をしたばっかりの時だな。
あっという間じゃん、30年って。
ましては90歳まで生きられる保証なんてないわけで、こうなると日々一生懸命生きて後悔しないようにする以外に方法がないのではないかと思えてくる。
あと1ヶ月と少しで57歳になる。
とんでもない大人なのである。
それでも迷いながら生き続けているわけで、これからの生き方を真剣に考える、そんなきっかけを頂いた。
そんなこと言いながら、今日も一日が終わろうとしている。
当然のごとく、明日があると思っている。信じるとかそんなレベルじゃない。普通そういうもんでしょ?といった感じだ。
でも、それって絶対だってことないんだよなぁ。
自分が亡くなったとき、「いい人生だったよね」って周囲の人に言ってもらえるのが幸せかな。
そんな生き方を、これからも模索していくのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?