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一日一考:「儚さ」について

このページの紹介 

 おはようございます。このページは、表題のとおり、その日に考えていたことを文章化していくページです。1日あたり1つの考察に止まらないかもしれないし、「考察」と呼べるほど煮詰まっていない思考を広げることになるかもしれません。

「儚さ」について

 皆さんは、「儚い」と言われて何を想像しますか。見事に咲いた桜の花を見たときでしょうか。淡い初恋でしょうか。すぐに消えそうなものを見て、寂しく感じたとき、人は「儚い」と思うのでしょう。

 「儚い」を手持ちの電子辞書で調べたところ、「1.束の間であっけないさま。むなしく消えていくさま。2.不確実であったり見込みがなかったりして、頼りにならないさま。」などの語義が示されました。この形容詞は、儚い命、儚い恋、儚い望みのように用い、名詞化すると「儚さ」になります。

 上記の意味を体現する事象を見たとき、人は「儚い」と感じます。特に、桜の花が散っていくさまを見たことがある方は、これを「儚い」と言うんだと認識できると思います。

「儚さ」は「死」を連想させる

 そして、僕は「儚い」ものを感じ取ると、「死」や「終焉」を連想してしまいます。しかも、その「儚い」ものは美しい花や、美しい音楽であることが多い。儚く美しいものを感じると、そこに「死」を感じ取って、一種の戦慄を覚えてしまうのです。

 なぜ、美しいものを見ているのに、聞いているのに、「死」を連想してしまうのか。

 この疑問に対する自分なりの結論は、自分の人生を重ねてしまうから、です。

 例えば、桜の花は、淡く美しい色をつけて咲き誇るけれど、散りゆく運命にあることは周知の事実です。そして、人生は、いずれ「死」を迎えることを知りながら、授かった生を全うするもの。

 散りゆく未来を前にして咲き誇る桜の花に、いずれやってくる「死」を前にして、いまを生きる人生を重ねている。だから、僕は桜の花を見ると美しさに感動し、いずれやってくる「死」を身近なものに感じる。「死」を身近に感じ、永遠などないと感じた時、僕は「儚さ」を覚えるのでしょう。

新たな気づき

 そして、この例を抽象化すると、人の感動する構造が判明する気がします。つまり、自分の経験や思考が、目の前の事象とリンクして、重なるとき、「共感」を媒介にして、人は感動するのではないでしょうか。

 この仮説が正しいと言えるなら、多くの支持や評価を勝ち取る芸術作品には、「共感させる力」があるのではないか、という思考に至ります。人々の「共感」が増えるほど、その作品への支持は大きくなるのではないでしょうか。

 最後に、僕よりも前に、このページの内容と重なるテーマを有する作品を紹介します。梶井基次郎の「桜の樹の下には」(https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html)です。URLは青空文庫のものですから、興味のある方はご覧ください。



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