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いま、「5しゃいちゃん」を振り返る

初めに。
この記事、そして彼女の動画は、細心の注意をはらって視聴することをお勧めします。

彼女が紡いでくれた言葉や見せてくれた姿はかけがえのないものですが、その真摯な姿は良くも悪くも影響力が大きいと考えています。

また、もしこの記事を読んで解釈が違うと感じても、ご容赦願います。あなたの中の「5しゃいちゃん」を大切にし、そっとブラウザバックしていただけると幸いです。


今でもふと頭をよぎり動画を見に行ってしまう私ですが、少し月日が流れた今だからこそ、改めて「五彩緋夏 ひなちゃん5しゃい」について自分なりの考えを整理したいと思い、筆を取った次第です。

結論から申しますと、
彼女がどうにか頑張って生きよう、どうやったら少しでも心軽く生きていけるんだろうともがいた先が他界だったことが、どうしようもなく虚しく悔しいです。

彼女にとってそれが正解だったかどうか、私に推し量ることはできませんし、しようともしていません。
また事の詳細について、語弊を恐れずに言うならば、正直どうでもいいです。

しかし、現代に生き、彼女のつくるものに心動かされていたものとしては、どうしてもやりきれない思いが募ってしまうのです。


改めて今までアップされてきた動画の流れをみると、なんてリアルに生きる葛藤を残してくれたんだ、と驚愕しました。あまりに、リアルすぎるのです。

時に赤裸々に心の内を吐露し、高い言語化能力できちんと物事を捉えようとしている姿が印象的でした。


辛かったよ、辛いね、でもどうにか前を向きたいんだ、という彼女の生き様は当時から多くの人の共感を呼んでいました。今でも、自身の症状についてここまで詳細に、わかりやすく伝えられる人は稀有なのではないでしょうか。SNSアカウントを残していただいて、本当に感謝しています。


だからこそ、その苦しみの先が安心して暮らせる日常じゃなかったことに一種の絶望を感じましたし、今もその気持ちがないといえば嘘になります。

そして、多くの人が心寄せた実在する人物がこの結果を見せてしまった(あえてこう表現します。)ことは、あまりに、あまりに影響力が大きいです。


ここで注意していただきたいのは、彼女の行動を否定する気持ちは一切ありません。

しかし、今を生きる私たちは、本当に注意して彼女に対する自分の思いを取り扱わねばならないと考えています。


どんな状態であれ、私たちが今を生きているのは紛れもない事実です。
そうやって、時間軸上で彼女の一歩前を歩んでいくのだと思います。
ある意味彼女を置いていく勇気が必要なのではないのでしょうか。

未練を無理やりどうにかすることは難しいですが、彼女が生きた軌跡を胸に、そうやって私は生きたい。


ここまで率直な文章を公開するのは初めてかもしれません。拙い文章で申し訳ありません。読んでくださりありがとうございました。


重井スカレでした。







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