そもそも、なぜ「シェア」①
結婚と同時にばーさんと1世帯造りのハウスをシェア(=同居)して十数年。
最初は、ばーさんとその息子(おっさん)が二人で平和に暮らしていたところに、ワケのわかんない女が転がりこんできて好き勝手やっている、という状況に見えただろう。
ざっくりわたしの同世代(±10歳)の知り合いにおいて、同じような経験をしている人を一人も知らない。
ちなみにばーさんの方も、嫁と同居しているババ友なんて一人もいないし、ばーさん自身が「姑」とのかかわりをもたなかったそう。(他界してたか、遠かったか、忘れた)
つまり、身近にモデルとなる家族像を知らず、比較対象もなく、3人の大人が夢だけかかげて自分第一で暴走!もちろんうまくいかないことも多々あり、何度もぶつかり、歩み寄りながら、今に至る。
説明が面倒なので、この「シェアハウスメンバー」については、誰にでも軽く話せることではないのだが、こんな話を聞いてしまった側は当然、
「なんで?」
と、いろいろ聞きたくなるのも当然のこと。
ずっと強調してきたのは、
わたしは自分の意思で、十分に納得と覚悟をした上でこの人生を選んだということ。
「歳老いていく母を一人にしたくない」という夫の思いが強かったわけだけど、全力で拒否したら、夫婦2人暮らしという展開もあったかも。
なのに、わたしは受け入れた。
なぜか。
いろいろ思いつくのだけど、
単純に、「理性がぶっとんでいたから」に尽きると思う。
多くの人がやりたがらないこと、わたしならできるかも!?という根拠のない自信や勢い。
そもそも結婚なんて、理性がぶっとんでないとできないことですよね。