人が住むには厳しすぎる、そんな場所に、その人たちは居た。
2つ目の峠をどのように越えたのか、記憶が無い。
崩れ落ちるように座り込んで休憩したのち、小川にかかる細い橋(というよりただの板)を渡り、当然のように目の前に現れる壁のような上り坂を見たところまでは何とか思い出せる。
その時に私が抱いた感想はどんなにがんばっても浮かんでこない。当時の私は意識を持たないことで自分の正気を保とうとしたのかもしれない。
次に覚えているのは、集落が見えた時だ。
左側は山、右側が急に開けて、畑が見えた。前方に家が3軒ほど建っており、人々がひとつの畑で作業しているのも目に入ってきた。
後ろを振り返ると、くっきりと壮観な白馬連峰。大自然を目の前にあっけにとられ到着した嬉しさも、とっくの昔に限界を超えた疲労に対する思考も、何もかも静止した。
まさにそこは、天空の城だった。
人が住むには厳しすぎる、そんな場所に、その人たちは居た。
畑へ近づいて私があいさつをすると、「アラヤシキ」という母屋で休憩するよう勧められた。結構淡々とした会話だったので戸惑いながらも、母屋の今後私が使うことになる部屋に案内してもらった。
アラヤシキは築300年の茅葺屋根の大きな屋敷で、入ると炊事場があり、そこに唯一の女性メンバーのハルさんが居た。私の部屋はハルさんが使っている部屋を簡易のカーテンで2つに仕切った半分側だった。
床の間があった。鴨居に洗濯ロープがかけられていた。そのロープにフリースのジャケットがひとつ、掛けられていた。おそらくメンバーの誰かのものだろう。隅に布団がたたまれておいてあり、物はそれくらいだったと思う。
広さはおそらく5畳くらい。縁側があり、近寄ってみると、窓の立て付けが良くないらしく、隙間風が入りっぱなしだった。初夏の昼の山腹の太陽光線はすさまじく、過激な登山で汗まみれになっていた私はそのくらいがちょうどいいとさえ思った。夜には後悔することになったが。
とにもかくにもジャージに着替えた。下着から何からすべて替えた。人生でこんなに汗をかいたのは中学生の時の部活くらいだと思いながら。着替えながら徐々に緊張してきた。これから何が始まるのだろう。というか、私はきちんとそれをこなせるのだろうか。メンバーたちとうまくやれるだろうか……
一息ついたら来るようにと言われていたが、そわそわしてしまってろくに休憩もせず外へ出て、皆が仕事をしている畑へ向かった。
私の姿をみたハルさんはちょっと驚いて「もういいの?もっと休んでて良かったのに。疲れたでしょう?」と言ってくれた。いや、私としてももちろん疲れており本当なら今日は一切何もしたくはない、それほど身体はボロボロで動かないのです、と、喉まで出かかったが到底言えるわけもなく、へらへら愛想笑いをしながら「大丈夫です」と答えてみる。
そういうところが自分でもよくないと思う。でも最初なのだから仕方ないとも思う。
「そう」
と、一言ハルさんはつぶやき、仕事に戻った。
その時私は悟った。
ここでは幼いころの両親のように、義務教育中の学校のように、手取り足取りなんでも教えてくれ、与えてくれるわけではない。ほら今も、立ち尽くす私の前でみなもくもくと仕事を続けている。
私はもう一度、白馬連峰を見た。
どこまでも青く広く大きい空に、この真夏さながらの日差しにも関わらず、山頂に雪を抱き連なる山々。神が宿ることに何の疑問も持てないその荘厳な風景を目の奥に刻み、私は一歩、畑へ足を踏み入れた。