薄い女

※1:薄い女とはロリのことを指すのではなく、スレンダーを指す。この定義を理解したうえで読み進めてほしい。まあ、話の本質には関わらないんだけど。
※2:予め断っておくが、この記事は性差を理由に差別、加害の助長、幇助を意図するものではない。

ぼくは薄い女が好きだ。現実でも二次元でも、薄い女が好きだ。これは冗談でなく事実であり、自負だ。

とはいえ、それはめったやたらに盛る文明へのアンチや、スレンダー女のバリエーションが増えてほしいという願望とか、そういう部分から来てる面は否定できない。俺はでかいのもちいさいのも薄いのも観たい。メス、メス、ポルノ!でもそれならば、好きだの盛るななどと声を張り上げなくたっていい話だ。でかいのが好きな人もいるし、風潮に対して苦言を呈したって大勢は変わらない。否定臭く、ノリの悪いヤツになってしまうだけだ。ならば、やるべきことは一つ。イイねだ。今も昔も声を張り上げたところで多数派にゃ敵わないことは昔から変わらないが、今は簡単に消費行動で示してやれる時代だ。高評価にいいねを押して、共有してやる。そうやって好意と実利を示せば済む話だ。なんと簡単なんだ!イイね、イイね!SNS時代に乾杯!バンザイだ。そんでさ、もし俺が創作するなら、リビドーを放つにしたって、アナリティクス活用するもん。小遣い欲しい!何が売れてる?固定ユーザーは居る?バズらないと売れないならなにつくろ?グーチョキパーであっぱらぱー。資本主義、サイコー!

冗談はさておいて、金で考えないにしたって、自分がやったことで喜んでくれてる奴が居るっていうのは嬉しいだろう。人間って奴はそうだ。なにするにしたって気持ちよくやりたいし、なりたいんだ。じゃあどうする?そう、簡単だ。肯定してやればいいんだ。で、否定は避ける。これしかない。じゃ、否定の文化を一回捨てよう。逆張りアンチを一旦棚に上げて、肯定的に考えよう。何故俺は薄い女が好きなんだろう?ってね。

正直に話そう。俺は厚い女でもシコるし、ロリでもシコるときはある。ラストオリジンで致す日もあればブルーアーカイブで過酷する日もある。でも、薄い女が一番好きなんだ。海の向こうのそういうフケツなもんにうるせ〜奴らからしたら悍ましいだろうが、そういうもんだ。俺の自認はゴブリン。一番弱っちいニホンミドリゴブリンさんだ。さて、では何故態々、俺は薄い女がいいと主張しているのか。コレに対して最近明確な答えが出たので、この話のきっかけになった友人T氏と、それを惑わせた各生物学上女性に定義される皆様に格段の謝意を表明しつつ綴っていく。

さて、この話は結論から述べてしまえば薄い女のほうが狂いやすく、いざことになったおきに濃いのが出るという話なのだが、何故そうなってしまうのか考えてみよう。



基本的に厚い女と相対する者は、対面コミュニケーションにおいて、望むか望むまいかはさておき、身体が要素として出てきてしまう。多くの2次元に於いて、否現実に於いても、当事者間の望む望むまいを別として、身体が先行してくることは残念ながら自然の摂理だ。そう考えると、我々と彼の者の相対す時間において、“身体”というノイズが現出する時間の有無が争点になってくる。ごく身近、簡単な例で言ったらブルアカ。これはわかりやすく、性的に売りのある身体がご立派なメスはすぐエロに走る。でもそうでないメスはどうだ。ちゃんと“コミュニケーション”が起きている。エモーショナル、純情、恋慕。感情の洪水だ。そうは思わないか?コンカフェだってそうだ、街コンだってそうだ、職場だってそうだ。現実も同じだと思うだろ。でもそれを否定することはできない。みんな必死だ、売り込めるもんは全部売り込むもんだ。そこを否定することはしない。

さて、上記を踏まえて進めると、薄い女の場合はニュートラルにコミュニケーションに入れる分、対象の外見よりも目の前の自律生命体の本質そのものに興味を持てる(人格性格経験etc.)それこそが恋愛感情若しくは異性に対する諸々が拗れる原因であり恋い焦がれてしまう原因である。即ち、ニュートラルに接する余地のある薄い女のほうが長期的に沼なのだ。

厚い女はそもそも性欲から入る分、ニュートラルに接することのできる時間が短い若しくはゼロである。よって、対面の存在の本質に我々が興味を持つことができず“美人は三日で飽きる”現象を起こすのではないか。

愛欲が性欲にすり替わるまでの時間がエモなんだなあ。

俺は薄い女が好きだ、とても。でもなんだかんだ、性欲は盛られた女によって喚起されがちだ。これは一体どういうことか。答えは一つだ。性欲と愛は違うってことだ。愛!恋って、愛って、最高だ。

ああ、薄い女が見たい。コンカフェ行ってくる。

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