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新しいイスラエルの王の星が出現(6)クリスマスの星は「星」ではなかった

東京に出現した「ベツレヘムの星と類似した星」についての調査により明らかになった、二千年前のイスラエルの歴史経過の前例から予測した既存の二つのイスラエル(天のイスラエル=キリスト教と地上のイスラエル)の終末とキリスト再臨・新しいイスラエルの建国について。

 前回の記事では物理的調査や超常現象調査もお手上げになったことを書きました。今回はベツレヘムの星との類似に気付き、キリスト教の調査を始めたことについて書きます。

 私がそのことに気付いたのは、ある時、ベツレヘムの星の話を聞き、生まれて初めて聖書を開いてキリスト降誕の時に訪れた東方の博士の話を読んだ時でした。
 ヘロデ王の時代に東方から訪れた博士たちは、ユダヤ人の王として生まれた方はどこにいるかとエルサレムの人々に尋ねます。理由は自分達は東方でその星(英:his star)を見たので拝みに来たと言います。この話は王の耳に入り博士たちは王に呼ばれて宮殿に行き、ベツレヘムにいることを知らされます。

「 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。(英:It went ahead of them until it stopped over the place where the child was. )彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家に入って、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また宝の箱を開けて黄金・乳香・没薬(もつやく)などの贈り物をささげた。」
                      (マタイ福音書 2:9~11)

 私はこれを読んでおや?と思ったのです。私が目撃した星(に類似した光体)は天文台へのヒアリングで、天文現象ではなく、もっと低いところの現象と言われました。しかし博士達が見た星も、博士達が見ている前で移動し幼な子がいる場所の上で止まったというのです。大気圏外の天体ならそんな動きをするはずがありません。流れ星も火球(大型の流れ星)も止まるということはありません。つまり博士達が見た星も天文現象ではなく、もっと低いところの現象と思われたのです。
 また、気象現象としても現代と古代で個別の気象現象に大きな違いはないはずで、博士達が見た星も気象庁が私が見た星について回答したように気象現象とは思われませんでした。当時はまだ航空機はありませんが、凧はあったかもしれません。しかし、星と見間違うようなことはないと思います。UFOについても古代にUFOがあったかどうかわかりませんが、専門家が私が見た星についてUFOとの形態の違いを指摘していましたから、博士達が見た星もおそらくUFOではないと思います。
 そうなると、ベツレヘムの星は、今回の東京の星(に類似した光体)について各分野の専門家達が回答した内容にすべて該当し、一致することになるのです。
 
 聖書や他の宗教聖典に書かれているような不思議な話は、宗教的な神話や伝説だと考えるのが非信者なら普通です。それは古代の話で現代にそんな出来事は見たことがないからです。私もそう思っていました。しかし、私が見た現象は、現代の日本の出来事なのですがベツレヘムの星と類似した現象でした。
 日本刀に次のような実話があります。江戸時代に書かれた日本刀の文書に日本刀で鉄の兜が切れたという記述がありました。これについては伝説だとか日本刀の切れ味についての神話だとか言われていました。しかし、明治時代になってから公の場で本当に切れるか試し切りをしたところ、なんと切れた、それで日本刀の切れ味の鋭さが証明されたと同時に、大昔の文書の記述は伝説でも神話でもなく事実の記録である可能性が高まったのです。トロイの遺跡を発見したシュリーマンは、神話とされていたホメロスの叙事詩を頼りに見事遺跡を発掘し、ホメロスの叙事詩が単なる神話ではなく、歴史事実を基にしたものであることを明らかにしました。たとえ古代の文書の記述であっても、それが現代に再現されるような場合には、その記述は事実の可能性が出て来るのです。
 もしかしたら、ベツレヘムの星の話は神話や伝説ではなく、現実の出来事だったのではないか、ただし、天文学上の「星」ではなく、「星に類似した光体」として。私はそう思えました。
 私達は毎年クリスマスになると、クリスマスツリーの先端に星が付いているのを見ます。誰もが皆、世界中でクリスマスの星と思っていますが、実はそれは「星」ではなく、「星に類似した光体」なのかもしれません。

 この時から私はキリスト教について調べ始め、今回の東京の星とベツレヘムの星に様々な一致があることがわかりました。ベツレヘムの星については3~4世紀頃の絵図に既に描かれており、博士はマギと呼ばれるペルシャ辺りから来た占星術の学者とされていることも分かりました。占星術の学者なら夜空を観測するのが仕事ですから、普通の星とはまったく違う星を見て調べ、キリストの誕生を知ったのではないか、とされているのです。
 このことは私にとっては重要なことでした。なぜなら彼らは当時の星のプロであってその彼らが「星」と言っていたのですから余程「星」のような外観だったに違いありません。しかし、その「星」は前述の聖書の記述のように「星」ではなくもっと低いところの「星に類似した光体」と考えられるのです。私が母親と共に見た現象も「星の輝き方そのもの」でした。つまり博士も私達もその現象を見て、本当は「星」ではないのですが、「星」と思ったのです。
 ベツレヘムの星についてはそれが何なのかについて様々な見解があり、天文学上の見解や超常的な見解もあります。しかし、何れも「星」であることを前提にしているようでした。聖書に星と書いてあり、博士達自身も「星」と思っていたからでしょう。17世紀の著名な天文学者であるケプラーなども意見を述べていますが、彼らは現物を観測したわけではなく、既存の天文学上の知見の範囲での推測をしただけです。もしケプラーが今回の東京の星の話を聞いたなら、東京天文台と同じことを言ったのではないかと私は思いました。「ベツレヘムの星」は「ベツレヘムの光体」と言うべきなのかもしれません。
 私は博士と同じ現象を目撃したのではないか、私はそう感じました。そしてその思いが単なる想像ではない事実がそれから次々に明らかになって行ったのです。

 次回はベツレヘムの光体と東京の光体の一致について書きます。


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