言語学を勉強・研究する上での、言語運用能力の重要性
「大学で何勉強してんの?」と聞かれて、「主に言語学を勉強してます。」と答えると、高い確率で言われるのは、「えー、じゃあ英語とかめっちゃできるんだ…!」といったことです。
たしかに僕自身英語が「めっちゃ苦手で全然できない…」っていうわけではないですし、実際言語学を研究されている学者の方々は、英語の運用能力も非常に堪能な方が多いなという印象を受けています。
しかし、言語学を勉強しているすべての人がそうであるかと言われると、おそらく違うでしょうし、そうでなくても一応言語学の理論を理解することはできると思います。
とはいえ、(逆接に逆接で気持ち悪いですが…)自ら言語学の研究を進めたり、これまで先人たちが発見してきた言語学の理論などを理解する(理解しやすくする)上で、またそれだけにとどまらず、研究を自力で進める上で、一定の言語運用能力は絶対に必要であると私は信じています。この投稿を見ていただき、少しでもそれに納得していただければ嬉しいです。
ということで今回は、言語学を勉強・研究する上で、言語運用能力がいかに重要なことであるかをお話ししたいと思います。
1. 言語運用能力とは
まず何の説明もなく「言語運用能力」という言葉を使ってきましたが、まずそれが何なのかを簡単に説明させていただきます。
言語運用能力とは読んで字の如く、「ある言語を適切に使いこなせる能力」のことです。
例えば日本語では、関係詞を用いた名詞句において「私が買った本」と言うことはできますが、「私は買った本」とは言えませんよね。(このように、Aという表現がその言語で容認されるかどうかを確かめることを、専門用語で「内省」と言います。)
要するに、当該言語における正しい使い方とそうでない使い方をいかに理解し、実際に使うことができているかを意味する単語が言語運用能力です。(英語では、一般動詞の文を否定文にすると、"I don't play tennis." とはいえますが、"I play not tennis." とは言えませんよね。)
2. 言語運用能力が重要な理由 その1
1で挙げたような言語事実が、なぜ重要かについて、具体例とともにお話ししたいと思います。
いきなりですが、英語の文を3つ提示します。
(1) a. I found a book for you to insist that Bill should read.
b. I found a book for you to insist that Bill tell Mary that Tom should read.
c. *I found a book for you to insist on the principle that Tom should read.
((1c)の*(アステリスク)は文法的に容認されないことを示す。)
いかがでしょうか。構造的にはどれも非常に似ていますが、(1c)だけ文法的に容認されません。
これは生成文法のテキストなどで出てくる、「下接の条件」を導入する際に用いられる文です。これはChomsky (1977)が考えた原理で、すごく簡単にいうと、「TP(時制要素を含む文)かDP(aやtheといった限定詞を含む名詞のカタマリ)を1度の移動で2度越えてはならない!(ただし、CP(補文標識のthatやfor)は移動の際に立ち寄る場所として機能し、そこに立ち寄ればTPかDPを超える回数がリセットされる)」という原理です。
実際に(1a, b)は動詞foundの目的語の位置にあるa bookが、もともと各文最後の動詞readの目的語にあり、移動を経てfoundの後ろに来ていますが、そこに移動するまで(1a, b)は1回、(1c)は2回、TPかDPを超えた移動をしたことになります。
これを理解するだけでも、かなり知識が必要だなと感じた方もいらっしゃると思いますが、その通りで、1つ1つの文を分析し、どんな理由で文法性に差が出ているのかを「なんとなく」ではなく「確実に」理解しないと、本当の意味でその理論を理解したとは言えません。これがまず1つ目の理由です。
3. 言語運用能力が重要な理由 その2
2つ目の理由は、自分で研究を進める際に支障をきたす可能性があるということです。
生成文法だろうと認知言語学だろうと、言語学に関連する研究をして、卒業論文を書いたりする方もいらっしゃると思いますが、その場合、数ある言語現象の中からテーマを1つ決めて書き進めることになるでしょう。(その言語現象は、例えば英語であれば、ほとんどは高校までの英文法の授業で少なくとも1度は触れたものになると思います。)
そして、書き進める中で、そのテーマに関連する言語データを集めたり、先行研究を集めて分析をしたりする機会があると思いますが、その際にもほぼ必ずと言っていいほど、言語事実に対する理解が必要となります。つまり、「こういう言い方ができる(文法的にOKである)ということをきちんと理解した上で分析を進めていかないと、もしかしたら間違った分析をしてしまったり、肝心なところを見落としてしまったりして、最終的に筋の通っていない研究になってしまう可能性があると思っています。
4. まとめ
以上2つのことから、私は言語学の勉強・研究において、言語運用能力が非常に重要だと思っています。もちろん、こんな偉そうなことを言っている私も完璧な言語運用能力があるわけではありません。なので、言語データを見るときには、ただボーッと眺めるのではなく、1つ1つの文に対して向き合い、日本語なら日本語、英語なら英語の言語事実をきちんと確認しながら本や論文を読むことを意識していきたいと思っています。
参考文献
Chomsky, N. (1977). On Wh-Movement. In P. Cullicover, T. Wasow, &. A. Akmajian (Eds.), Formal Syntax. New York: Academic Press.